[藤原裕之の金融・経済レポート]

(2015/07/08)

ビッグデータ活用の鍵を握るデータ・リテラシー

 藤原 裕之((一社)日本リサーチ総合研究所 主任研究員)
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データを扱う前に必要なこと

 ビッグデータの活用が叫ばれる中、システム投資や人材育成に積極的に取り組む企業も増えている。その一方、「ビジネスとして具体的に何に活用するか分からない」「費用対効果が見えにくい」など、不満や戸惑いの声が多いのも事実である。これは企業全体の経営戦略とデータ活用の間に遠い距離があることを示している。

 こうした状況が生まれる背景には、データとどう向かい合うのか、データによって何が分かるのか、といったデータ・リテラシーの問題が大きいと感じる。当然のことながら、データはあくまでツールの一つであり、「ビッグ」になっても本質は変わらない。経営者は巨大なデータに宝物が眠っていると思い込み、「データ待ち」によって思考停止に陥る。分析担当者は、データはツールに過ぎないと頭ではわかっていても、我々がスマホを知らず知らずのうちに手にしているのと同じように、データの海に身を投じてしまう。筆者も仕事柄、データ分析に多くの時間を割くが、データと長時間対峙していると、いつのまにか沖に流されて本来の目的を見失っていることがしばしばある。

 「たかがデータ、されどデータ」。これを経営者と分析担当者が共有しなければ、せっかくのビッグデータも単なるブームで終わることになる。

データ・リテラシーとは ~アートとサイエンスを知る

 「数えられるものすべてが価値あるものとは限らない。価値あるものすべてが数えられるとは限らない」。アインシュタインの名言である。筆者は、これをそれぞれの立場で理解することがデータ・リテラシーを身に着ける第一歩と考えている。

 図表1はアインシュタインの言葉を筆者なりに解釈して描いたものである。企業が真に必要とする情報にたどり着くには、「経験知」⇒「測定知」⇒「創造知」の3つの知力が必要になる。経験知とは文字通り、過去の経験則、常識、勘のことであり、これまで多くの経営者が頼りにしてきた知力である。当然のことながら、経験知のみで企業が知るべき情報のすべてが得られるわけではない。意思決定において経験則に沿ったバイアス(ヒューリスティック)が生じやすくなる。経験知の欠点を補うには客観的かつ膨大な情報量に基づく測定知が必要となる。これがビッグデータによって可能な時代となり、経験知からは知り得なかった顧客の姿を知ることができるようになった。

 問題はここから先である。「経験知+測定知」から導かれた顧客の姿は、企業が必要とする「真の」顧客の姿と言えるのかどうか。確かにビッグデータはあまりに膨大であり、そこを突き詰めれば真の顧客の姿が見えてくるような感覚になる。しかしデータはあくまでデータである。ファクト(事実)の一部を特定の手法によって観測したものがデータである。「ビッグ」になってもその本質は変わらない。仮にビッグデータによって顧客の真の姿に近づけたとしても、それはあくまで過去~現在の顧客の姿を映し出しているにすぎない。
 



■藤原 裕之(ふじわら ひろゆき)
略歴:
弘前大学人文学部経済学科卒。国際投信委託株式会社(現国際投信投資顧問)、ベリング・ポイント株式会社、PwCアドバイザリー株式会社を経て、2008年10月より一般社団法人 日本リサーチ総合研究所 主任研究員。専門は、リスクマネジメント、企業金融、消費分析、等。日本リアルオプション学会所属。

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