[書評]

2015年3月号 245号

(2015/02/15)

今月の一冊 『「良心」から企業統治を考える――日本的経営の倫理』

 田中 一弘 著/東洋経済社/1800円(本体)

今月の一冊 『「良心」から企業統治を考える――日本的経営の倫理』 田中 一弘 著/東洋経済社/1800円(本体)  日本では企業統治が機能していないといわれる。しかし、それは「自利心」のレンズを入れて見ているからで、もう一つの「良心」のレンズを重ねて見れば、ちゃんと機能していることが分かると著者はいうのである。

  今、企業統治の標準的な議論はこうだ。日本では、取締役会は主に内部昇進の社内取締役からなり、株主構成では持ち合い株主が多い。欧米のように独立性の高い取締役会が経営者を監督する仕組みになっていないし、株主や企業支配権市場による経営者の規律づけも弱い。このため、コーポレート・ガバナンスは空洞化している。欧米に追い付かなければいけないと、今回の会社法改正でも、この視点から社外取締役の改革が行われた。

  この考え方は、企業統治を自利心で見る見方だと著者はいう。経営者性悪説に立ち、経営者には自己心しかないので、アメとムチで経営者をやる気にさせ、取り締まる必要があるとする。アメは業績連動型報酬などで、ムチは社外取締役の監督などだ。なお、自利心とは英語のself‐interestのことだ。利己心と訳されるが、批判的な語感を弱めるため自利心の言葉を使っている。

  これに対し、著者は企業統治を見るに当たり、経営者性善説に立ち、良心から見るという新しい見方を呈示している。そうすると、あたかも近視レンズに乱視レンズを重ねたときのように、日本の企業統治が機能している姿がくっきりと見えてくるというのである。

  経営者もカネや名声が欲しい。しかし、同時に従業員を幸せにしたい、自分の責任を立派に果たしたいと願う気持ちもある。生身の人間である以上、自利心しかないはずがない。他者への思いやり、正義、信用、責任感といった良心もあるのだ。

  日本では、こうした経営者の良心が経営を規律づけてきたというのである。20世紀後半に日本企業が大きく発展したのは、自利心による企業統治は機能不全だったとしても、それを補うものとして良心による企業統治が重要な役割を果たしてきたからだ、日本では他国と比べ、これが顕著でこれこそが日本型企業統治の核心をなすと著者はいう。

  こうした見方は外国の日本研究者もしているが、著者は理論的に分析を深めている。これまで、社内取締役や持ち合い株主は日本のコーポレート・ガバナンス空洞化の元凶と位置づけられてきた。これに対し、著者はこれらが経営者に良心を喚起させる触媒として重要な役割を果たしていると積極的に評価している。企業統治に関わる日本型企業システムの逆説である。

  社内取締役は、長年、苦楽を共にしてきた会社共同体の一員だ。経営者の献身的な努力や私心のない決断を喜び、共感するもっとも身近な存在である。逆に経営者の無責任さや私欲の追求に憤る。経営者は彼らの信頼を裏切りたくないと、良心に導かれて自らを規律する。

  持ち合い株主は、長期的関係にある取引先などだ。様々な経営資源を与えてくれるし、敵対的買収を防ぎ、経営権の安定を保証してくれる。経営にくちばしを入れず、業績が悪化したときも、我慢強く株式を保有してくれる。経営者は、こうした持ち合い先に迷惑をかけたくないという気持ちが強く働き、これが良心を喚起してくれるというのである。

  自利心による企業統治と良心による企業統治の一番の違いは、経営者を規律する主体である。前者は経営者を規律するのは、特定の他者であり、社外取締役などの仕組みが必要で、それは外部から見える。不祥事が起きた後、社外取締役を起用することにしたといえば、世間も納得する。

  これに対し、後者は経営者自らが良心を導きの星として自らを規律する。心の中だから外部からは見えない。他者は経営者の良心喚起の触媒の役割しか果たさない。しかし、従業員、メーンバンク、顧客など多様なものが触媒になりえる。この点で、前者が閉じられた企業統治に対し、後者は開かれた企業統治だとしている。

  私も、経営者の方々をインタビューしてきたが、外部から登用され、業績に連動して高額報酬をもらうのが当たり前という経営者もいた。一方、伝統企業で困難な時期に思いもかけず、社長に抜擢され、リストラをしない伝統を守り、無事にタスキを次の社長にバトンタッチするのが自分の使命という人もいた。

  今、日本は制度上は、自利心による企業統治が優勢になりつつも、企業経営の現場では、この二つの企業統治のあり方がせめぎあっている状態なのではないか。その中で、企業統治改革の先頭を走ってきたソニーのような迷走もある。

  どちらが良いのか、判断に苦しむが、本書を読むと、良心の方に軍配を上げたくなる。著者がいうように自利心による企業統治には負の影響が大きい。何よりも、経営者性悪説の前提は経営者から良心を失わせる可能性がある。経営者は利己的だと繰り返し説かれれば、利己的に振る舞うことにだんだん躊躇しなくなってしまう。経営者を堕落させる危険がある。たとえ私利追求を目的とする企業であっても、経営者がなすべきことをする根本の動機には自利心でなく、良心を置くべきだろう。

  日本は明治の渋沢栄一の『論語と算盤』以来、道徳と経済の両立を求めてきた。その伝統を引き継ぐ倫理的リーダーや経営者も多い。やはり、日本は良心による企業統治の強みを捨てずに維持し、再強化していくべきだし、それだけでなく、グローバル資本主義経済の安定的・持続的発展のためにも、日本企業がその大切さを世界に発信すべきだとする著者の主張には、共感を覚えた。

(川端久雄〈編集委員、日本記者クラブ会員〉)

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