[マールレポート ~企業ケーススタディ~]

2013年5月号 223号

(2013/04/15)

亀田製菓--田中通泰社長が語る「老舗米菓メーカーのグローバル成長戦略」

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田中 通泰(亀田製菓社長)

「お菓子総選挙」で1位に


   テレビ朝日の人気番組に「お願い!ランキング」というのがある。その2012年10月27日放映の「1万人が選ぶお菓子総選挙」(スナック・米菓部門、740品目)で、亀田製菓の「亀田の柿の種」が湖池屋の「ポテトチップス」、カルビーの「かっぱえびせん」など有力なスナック菓子を抑えての1位となった。同社の製品ではほかに「ハッピーターン」も8位に入るなど亀田製菓の人気の強さが実証された形となった。
■沿革    この亀田製菓は、1946年新潟県中蒲原郡亀田町において亀田郷農民組合委託加工所がつくられ、水飴の委託加工を開始したのが始まり。50年に亀田町農産加工農業協同組合に改組され、水飴の製造を中止して焼菓子を主体に米菓を製造するようになった。57年この亀田町農産加工農業協同組合を母体として古泉榮治氏が亀田製菓を設立。その後、同社は75年3月期に米菓業界で売り上げ日本一(163億7065万円)となり、84年米菓業界ではじめて新潟証券取引所に株式上場。2000年新潟証券取引所と東京証券取引所の合併に伴って東証市場第二部上場となり、12年には同第一部銘柄に昇格している。

   業績も好調だ。12年3月期の連結決算を見ると、デフレ不況下で消費者の節約志向も影響して売上高こそ787億8918万円で対前年比1・3%減と8年ぶりに減少したものの、経常利益は前期比3.1%増の40億5891万円で過去最高を更新。また最終利益は 前期比7.9%増の22億7752万円となり3年連続で最高益を更新している。

赤字転落

   もっとも、同社の歩みは決して順風満帆であったわけではない。東証二部上場の年、2000年3月期に創業以来初の営業赤字(単体ベース、連結では黒字)に陥ったことがある。消費者の嗜好の多様化に対応しようとした結果、商品数が膨らみ、加えて原料の米価が上がったこと、さらに「第二の柱」を狙って米菓以外に新しくスナック菓子分野へ進出したことなどが裏目に出たのである。

   このため、2000年オーナー社長だった古泉肇氏が辞任し、末席の取締役であった金津猛氏が社長に就任。不採算部門からの撤退を図り、約700を数えていた商品数を01年には300まで削減したほか、約1200人の人員整理を断行した。この結果、02年3月期の業績は、営業利益(単体)が98年3月期の水準(17億3078万円)を超える17億4939万円とV字回復した。この間、経営統括本部長として一連の経営改革に取り組んできたのが田中通泰・現社長である。
 

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