[マールレポート ~企業ケーススタディ~]

2015年4月号 246号

(2015/03/15)

オプト―― ネット広告を核に急成長を実現させた鉢嶺登社長のM&A戦略

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ネット広告取扱高日本一

鉢嶺登社長  拡大するインターネット広告業界で高成長を続けているオプト。同社の2014年12月期の連結売上高は約670億円。サイバーエージェント(2014年9月期連結2052億円)に次いで業界2位だが、ネット広告の取扱高は日本でトップの位置を占める。同社の強みは、最先端をいくネットメディアと連携し、単にインターネット広告の代理店サービスの提供にとどまらず、マーチャンダイジング戦略からコミュニケーション戦略までを一貫してサポートする「eマーケティングサービス」の提供にある。

  26歳の時、たった1人でオプトを創業し、業界をリードするIT企業にまで成長させてきたのが鉢嶺登(はちみね・のぼる)氏である。

  同氏は、1967年生まれ。早稲田大学商学部を91年に卒業し、森ビルに入社。94年に、米国で急成長しているダイレクト・マーケティング業に着目して「デカレッグス」(現オプト)を設立し、04年にJASDAQに上場。13年10月には東京証券取引所第1部へ市場変更している。

オプトの業績

「経営者になる」

  鉢嶺氏は、子供の頃から経営者になることを夢見ていたという。

「子供の頃は戦国武将が大好きで、いろいろな本を読み漁って、“男児たるもの、生まれたからには何かを成し遂げたい”と思っていました。将来の夢は、教師、事業家、政治家のどれかになることでした。そんな中で、中学1年生の時にD・カーネギーの『人を動かす』という本に出会ったのです。学級委員長としてクラスのまとめ役をやっていたこともあり、非常に大きな影響を受けました。単語カードにカーネギーの言葉を書き写して、暇さえあればそれを見ていました。そんなことから、次第に人をまとめるリーダーとしての事業家に強く惹かれるようになったのです」と鉢嶺氏。

  早稲田大学に入ったものの、大学時代はほとんど授業を受けずに麻雀やビリヤードに明け暮れる「自堕落な生活をした」という鉢嶺氏だったが、都市開発というイノベイティブな社風に惹かれて森ビルに入った。その時には、3年働いたら会社を辞めて起業すると決意していたという。

「しかし、いざ独立を目指そうといろいろ調べてみると、会社はかなりの確率で倒産することがわかり、とたんに怖くなりました」

  独立への思いが揺らぎ始めていた鉢嶺氏の背中を押したのは、入社3年目の93年6月、現在の夫人と一緒に格安ツアーで行ったエジプト旅行での体験だった。

「遊覧船でナイル川沿いの遺跡巡りをしていた時のことです。現地の人たちが、手作りのシャツやテーブルクロスなどを入れたビニール袋を船内に投げ込んでくる。物売りですね。気に入った品があれば品物をビニール袋から取って、代わりにお金を入れて袋を投げ返すわけです。見ていると、品物が売れた物売りの1人がお礼を太陽に掲げてお祈りを始めたのです。その姿を見てハッとしました。いかに日本が恵まれているか。25歳の自分はこの豊かさを当たり前のように享受しているが、この豊かさは先人が作り上げてくれたものだ。僕らがこの豊かさに胡坐をかいていたら、30年後の日本は眼の前のエジプトのようになってしまうんじゃないか、そう思ったのです」

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