[【小説】グローバル経営改革 ~ある経営企画部次長の悩み深き日々]

2019年8月号 298号

(2019/07/16)

【小説】グローバル経営改革 ~ある経営企画部次長の悩み深き日々(第2回)

第1章「海外子会社のガバナンス改革編」 第2話「訪問への準備」

伊藤 爵宏(デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー)

【登場人物】

サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎
サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太
サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 スタッフ
山本 朝子
Sakura Asia Pacific Planning Group Manager
中田 優紀
(前回までのあらすじ)

 サクラ電機の本社経営企画部に配属された木村遼太は、地域統括会社が主導する東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトを本社の立場から支援することになった。
 キックオフミーティングで、ガバナンス強化に向けたオペレーション・ITシステム統合という方針に対して各社から強い反発を受けた木村は、自ら各社に赴いてプロジェクトの意義を改めて説明し、各社の課題・ニーズを拾い上げることを宣言した。
 これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。



新たな戦力

 「私が、本社の立場から改めて域内各社へ1社ずつお伺いします。そして、本プロジェクトの意義を改めてご説明するとともに、各社の課題・ニーズをお聞かせ頂き、本プロジェクトの新たなスコープとアプローチをご提案させて頂きます」
 こう宣言してキックオフミーティングを終えた木村は、日本に帰国し、本社オフィスへと出社した。
 まずは、上司である堀越にキックオフミーティングの結果を報告しなければならない。元々堀越からは、本社からの「お目付け役」としてプロジェクトに関与するよう言われていた。それにもかかわらず、自ら各社を訪問することをコミットしてきてしまった。本社経営企画部への着任早々、定められた役割を超える独断をしたことに対して後悔の念がよぎり、堀越のデスクへ向かう木村の足取りが重くなる。それでも、各社の意向だけを尊重したボトムアップのアプローチ、または全社の方針として改革を押し付けるトップダウンアプローチのいずれかだけではこの改革は上手くいかないと感じた自らの判断を改めて信じ、木村は堀越の前に立った。
 木村は、堀越に対し、事の顛末をありのままに報告した。堀越から何を言われるか戦々恐々としていたが、木村の予想に反し、堀越はにやりと笑って言った。
 「そうか、全ての子会社をまわるというのは大変だと思うが、大事なプロジェクトだからぜひ頑張ってくれ」
 堀越は更に付け加えた。
 「それで、次はいつごろ現地に行くんだ?」
 すんなりと話が進んだことに木村は面食らったが、慌てて帰路のフライトで夜通し考えていた自らのプランを説明した。
 「3週間ほど準備をしてから各社を訪問しようと思っています。中田さんと連携して各社への訪問スケジュールを調整しながら、各社にプロジェクトの狙いを改めて説明するためのストーリーを整理しようと思っています。また、各社へのヒアリング項目を洗い出しておく必要があります。できれば、ヒアリング項目は事前に書面ベースで回答をもらっておいたほうが、訪問時の議論が効率的になると思っています」
 木村の答えを聞くと、堀越はうなずいて言った。
 「なるほど。それであれば、結構手数がかかるな。経営企画部から木村君をサポートする担当者をアサインしようか」
 堀越は続けた。
 「山本朝子さんはどうだろう。ちょうど今の仕事が一区切りついたところなんだ。彼女なら、英語が堪能で、よく手も動かしてくれるから適任じゃないか」
 ここまで聞いて、木村は、堀越がこうなることを最初から予想していたのではないかと感じた。そうでなければ、ちょうどよく手の空いたスタッフをあてがうことなどできないだろう。「それなら最初から言っておいてくれればよかったのに…」というぼやきが口から出かかったが、木村はそれを飲み込んだ。まずは部下に現場を見せ、自ら考えて行動すればそれを支援するという、昔から変わらない堀越の懐の深さであり、底の知れなさでもある。
 いずれにしても、担当者のアサインは木村にとって「渡りに船」であるため、木村は堀越の申し出をありがたく受けることにした。

仮説の構築

 「初めまして、山本です。堀越部長から、東南アジアのガバナンス改革プロジェクトについて、木村次長のサポートに就くよう指示を受けました。よろしくお願いします」
 初めて会った山本は、快活な印象を与える若手であった。木村がプロジェクトの趣旨とキックオフミーティングの結果、そして今後各社を訪問するプランを共有すると、山本は明るく言った。
 「では、3週間後には東南アジアですね。私、前から東南アジアに行ってみたかったんですよ」
 木村は、山本の楽しげな反応に「いや、旅行じゃないんだから…」と戸惑ったが、キックオフミーティングの張りつめた空気を思い出しては憂鬱な気分になりがちな中、「少しでも明るい気分にしてくれるなら、それでも良いか」と思い直し、小言はやめて「山本さんのグローバルスキルを活かせる機会だと思うから、ぜひ頑張ってね」と励ました。
 それから木村と山本は、堀越に説明した通り、中田とテレビ会議でこまめに連絡をとりながら、各社を訪問するための説明資料を準備した。山本は堀越から聞いていた前評判通り、てきぱきと準備を手伝ってくれた。英語の資料を読み込み、作成するスピードはむしろ木村よりも速い。木村は改めて堀越のはからいに感謝した。
 また、ヒアリング項目を整理するにあたっては、現地で指摘されたオペレーション・ITシステム統合に関する「過去のフィージビリティスタディ」を改めて取り寄せ、各社の課題やニーズについて、組織・業務プロセス・ITシステムといった多面的な観点でカバーできるように努めた。
 そして、その過程で、東南アジア地域の現状について、木村は以下のような理解を深めた。
・ 過去のオペレーション・ITシステム統合は、効率化・コスト削減を主目的に検討されたものであり、その効果の僅少さゆえにとん挫していたこと
・ 一方で、各社は管理オペレーションの実務に手いっぱいであり、より戦略的な業務へのリソースシフトを望みながらも、人員増が難しい状況であること
・ ITシステムは各社が個別に構築しており、相当廉価な水準であるが、その品質には疑問が残ること(各社のITシステムには、木村には耳慣れないローカルパッケージが並んでいた)
 これらの現状を踏まえると、本プロジェクトの目的はオペレーション・ITシステム統合という手段を通じてコンプライアンスを含むガバナンスを強化しようというものだが、これに加えて各社にとっての困りごとの解決に資するような施策を織り込むことが、本プロジェクトの実現にとって必要になるだろうと感じた。そこで、こうした仮説のもと、最終的なプロジェクトアプローチを構築するためのヒアリングでは、各社の困りごととそれに対する意見をできるだけ引き出そうと、木村は考えた。
 このように、連日、山本や中田と侃々諤々議論をしながら過ごしていると、3週間の準備期間はあっという間であった。

いざ、再び現地へ

 準備期間を終えた木村と山本は、クアラルンプール国際空港に降り立った。地域統括会社であるSakura Asia Pacificはシンガポールに所在しているが、その他の東南アジア子会社はマレーシアに多く集積しているため、各社への訪問はマレーシアが中心となる。
 空港から屋外に出て、東南アジア特有の暖かく湿った空気に包まれると、早くも木村の額に汗が浮かんだ。木村はスーツのジャケットを脱ぎながら、この汗はこの後に控えるミーティングへの緊張ではなく、単純な暑さからくるものだと自分に言い聞かせた。その裏には、各社に送付した書面ベースでのヒアリング項目への回答がまばらにしか集まっていないという事実もあったが、キックオフミーティングでの各社の抵抗感を踏まえると「こんなものだろう」と自分を納得させた。
 傍らの山本は「日本も一年中これくらい暖かかったらいいですね」と平和な感想。でも、かえってそれが木村の緊張をいくらか和らげてくれた。
 木村と山本が他愛のない会話をしながら、しばらくの間ロータリーで待っていると、中田が2人をピックアップするために車に乗って現れた。中田とは連日のようにテレビ会議で顔を合わせていたため、2人は簡単な挨拶だけを交わし、車に乗り込んだ。
 最初の訪問先は、クアラルンプール郊外の工業団地にある製造子会社を予定している。サクラ電機の海外子会社の中でも比較的歴史が長い会社である。
 中田の運転で小一時間ほど車に揺られていると、前方に年季の入った「Sakura Electronics」というロゴが見えてきた。中田がパーキングに車を停め、警備員に入館手続きを行うと、これまた年季の入ったテンポラリーの入館証を3人分渡された。
 小学校の下駄箱を思い出させるような雰囲気のオフィスのエントランスを通り抜け、3人が受付で改めて用件を告げると、会議室へと案内された。
 会議室への道すがら、執務エリアの様子が見えたが、ちょうど昼休みの時間であるためか、執務エリアはほぼ消灯されていて薄暗く、机に突っ伏して昼寝をしている従業員も見受けられた。
 そのような光景を眺めながら会議室に入ると、山本は早速ミーティング資料のハンドアウトを会議宅の各席に配布し始めた。さすがにミーティング直前で緊張し始めたのか、口数も少なくなってきたようだ。
 木村は、メモをびっしりと書き込んだ自分用のハンドアウトをカバンから取り出して、もう一度目を通しながら、ミーティングが始まるまでの間に気持ちを落ち着けた。
 15分ほど待ち、ミーティング開始時間を5分ほど過ぎたとき、会議室の扉がガチャリと音を立てて開き、子会社側の担当者が入ってきた。先頭には、キックオフミーティングにも参加していた日本人の社長、その後ろに数名の現地社員が続く。
 「わざわざ遠いところまでお越し頂いてありがとうございます。わが社の管理オペレーションは彼女たちが最もよく分かっていますので、ぜひ色々聞いてやってください」
 社長は、よく日焼けした顔に満面の笑みを浮かべ、木村たちと日本語であいさつを交わした。後ろに立っている現地社員たちは、中国語らしき言葉でお互いに会話をしている。
 木村は、社長のあいさつには日本語で答え、現地社員たちとは英語でお互いに自己紹介をして席に着いた。そして、資料の最初の頁をめくりながら、ミーティングの口火を切った。

(次号へ続く)

■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。

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