[書評]

2009年2月号 172号

(2009/01/15)

BOOK 『ソーシャル・キャピタル ―社会構造と行為の理論』

ナン・リン著、筒井淳也ら訳 ミネルヴァ書房 3600円(本体)

 

ソーシャル・キャピタルの考え方は社会学者が提示した新しい資本論の一つである。最近は訳語として「社会関係資本」の言葉が定着し、本書でもこの訳語が使われている。

  
社会学は、社会構造の中での個人や組織の行動の動機を探究する。社会での合理的な選択行動の分析という点では市場での合理的選択を研究する経済学とも接近してきている。
 
人間は、自分がもつ資源の維持や新たな資源の獲得を目的に行動する。生産し、富が蓄積され、個人、社会が発展してきた。産業革命の時代になると、労働、天然資源、資本が有機的に結びつき、財の生産力は飛躍的に増大した。マルクスは、資本とこうして生まれる価値や利益は資本家に独占され、労働者は資本を蓄積できず、搾取されるとして資本論を著した。1世紀後の1960年代、経済学者から人的資本の概念が示される。資本家がもつ物的・金銭的資本でなく、労働者がもつ知識・技能こそが価値や利益を生み出すとして人的資本と名づけた。新しい資本論の登場である。労働者は資本家に変貌を遂げたのだ。
 
どちらの資本論も、資本は市場の中で利益を得ることを目的としてなされる資源の投資という点では共通している。資源は投資という行動がなければ、眠ったままで資本にはならない。ところで、社会学によると、社会には2つの資源がある。一つは、行為者が所有する、個人的な資源。人的資本もこれに含まれる。もう一つ、社会に埋め込まれている資源である。他者が所有している高額な家や車といった物的資源もあれば、クラブ会員権、名誉的な称号、家名など社会的地位に帰属する資源もある。こうした高嶺の花の資源にも、社会の様々なネットワークを通じてアクセスが可能になる。車を借りたり、就職活動に活用したり、我々も日常的に行っている。これにより、富や地位の見返り(リターン)が受けられる。個人がこうした社会的ネットワークに投資をして、社会関係資本を増やすこと、一方、社会がこの資本へのアクセスを容易にすることが豊かさにつながるというのだ。
 
米国では最近、地域でのボランティア活動の参加率が低下したことから昔と比べ、社会関係資本が衰退したとみる学者もいる。しかし、著者は、サイバーネットワークの時代を迎え、社会関係資本は革命的な増加をしているという。我々はインターネットを通じて時間的・空間的制約を受けず、他者と繋がっている。多くの参加者による資源が共有されている社会を、著者はグローバル・ビレッジと呼ぶ。新しい時代の到来であるが、これにアクセスできるかどうかで国や人の社会関係資本の不平等が拡大すると警鐘を鳴らしている。
 
このほか文化資本、制度資本といった資本概念が出てくる。経済学では、社会の公共財として社会共通資本の言葉がある。地球環境保護の観点からこの概念に注目する学者もいる。資本の言葉の外延は広がるばかりで、使われ方に疑問なきにしもあらずだが、古典的なハードキャピタルに対しソフトキャピタルの面から資本に光を当てることで、新たな問題点と論点が浮かび上がるのだろう。その際、資本が「価値と利益の源泉」であり、価値中立的な概念であることに留意する必要がある。マルクス主義の搾取論的資本論の呪縛からなかなか抜け出せなかった者として、本書を読みながらその点を一番痛感した。(青)

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