[書評]

2009年4月号 174号

(2009/03/15)

BOOK『さまざまな資本主義―比較資本主義分析』

山田鋭夫著 藤原書店 3800円(本体)

少し前までグローバリゼーションの言葉が席巻していた。世界は、あたかも米国の市場主義経済モデルに収斂していくかのような錯覚を覚えたものだ。ところが、米国の金融危機を契機に一変し、新聞などでも資本主義の多様性という言葉を見かけるようになった。

多様性論の理論的裏づけとなるのが比較資本主義分析という学問分野である。本書はその中でも1970年代にフランスで生まれたレギュラシオン理論を中心に展開する。レギュラシオンとは調整を意味する。経済社会は闘争、矛盾、葛藤に満ちていて、対立する諸々の力がうまく調整されないと成長発展しないと考える。市場経済は個人の合理的選択の場で、均衡へ向かって自己調整するとみる新古典派経済学とは対立する新しい経済学である。

戦後の世界経済の発展モデルは米国のフォードから生まれた調整方式にあるとする。経営側が生産性に比例して賃金上昇を認める代わりに労働側がテーラー主義による労働の細分化という非人間的な作業を認めることで労使妥協が図られ、対立が調整された。

このモデルが限界を迎え、米国経済は混乱したが、90年代以降、金融主導型で復活する。これが世界中の資本主義のモデルと主張された。これに対し、レギュラシオン学派が多様性論を提示した。資本主義のあり方はその国ごとの制度と深く関わっていて、調整の仕方も時代、場所により違う。その違いが資本主義の個性をつくる。共存、競合し、米国型へ収斂しない。資本主義は本来、時間的、空間的に可変で多様性があることが示される。

著者によると、近代史は、資本原理(市場軸)と社会原理(福祉軸)の対抗と補完のうちに展開されてきた。資本がなければ、社会は安穏だったかもしれないが、そういう社会は停滞する。しかし、資本は必要だが、暴走し社会を不安定にする。だから、社会の側から調整し、飼いならす必要がある。これが同学派の基本的メッセージである。日本でも、90年前後からこのアプローチによる日本資本主義の分析が行われるようになった。戦後日本では、市場、国家、市民社会よりも企業の役割が圧倒的に高く、企業を核にした調整様式で成長した。1つは経営側が雇用保障をする代わりに労働側は職務内容の無限定性を認める。もう1つは企業がメーンバンクに優先的収益の機会を提供するのと引き換えに銀行から危機時の経営保障を得る。こうして資本原理の体現者である企業が、同時に雇用や福祉などの社会原理を担う、という日本型資本主義が花開いた。バブル経済崩壊後、この調整様式が機能不全を起こし、今も新たな調整方式を築けないでいる。出口はあるのか。著者は素朴な市場原理的調整でもなければ、旧来型の企業(中心)主義への固執も現実的でないとする。新しい調整方式を示せるかが、日本のレギュラシオン学派の試金石だとする。

著者はグローバリゼーションとは、実は米国が自分の姿に似せて世界を作り変えることにあったとする。日本も三角合併、社外取締役の活用、ストックオプションなど株主主権論に立脚した制度が導入され、会社も共同体から契約の束とする考え方も広がったが、著者の視点から見直してみる必要があるのだろう。本書は金融危機が起こる直前に脱稿されたが、現実に金融危機が起きた今、読む読者には強いメッセージが伝わってくる。(青)

 

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