[書評]

2009年5月号 175号

(2009/04/15)

BOOK『企業会計原則の論理』

石原裕也著 白桃書房2800円(本体)

 「企業会計原則」は、日本の会計実務にとって憲法ともいうべきものである。企業活動に

注目し、損益計算書を中心に経営成績を追い求める。戦後まもなく制定され、日本の企業
と経済の発展に貢献してきた。米国の会計制度を導入したものと言われてきたが、昨今の
国際会計基準への対応で、日本では議論が沸騰しているのに米国は冷静である。どうして
か。この問題意識から、著者は「企業会計原則」の淵源と由来を探る。米国制度を導入し
たという通説を覆すとともに、背後にある日米の会計観の違いを明らかにしている。
前提知識として会計観は2つあることを知っておく必要がある。会計の目的は利益を測定
することだが、利益観の違いから派生する。一つは、利益を企業の正味資産の増分とみて、
資産・負債の増減額で算定する。資産・負債アプローチだ。これは貸借対照表の貸方の債
権者、株主からみて、どれだけ利益が上がったかを見るのに便利な指標だ。もう一つは利
益を企業の効率性の測定値とみて、収益と費用の差額に基づいて算定する。収益・費用ア
プローチだ。従業員と力を合わせて会社を運営する経営者の成績の指標になる。
1949年に設定された日本の企業会計原則はいうまでもなく収益・費用観(アプローチ)
である。では、米国はどうか。著者は、当時の米国会計原則を詳細に分析する。その結果、
米国の会計原則は、一部に収益・費用観をとり、日本の企業会計原則に影響を与えたもの
もあるが、根底は資産・負債観(アプローチ)で、日米の会計観念には埋め切れない隔た
りがあることを明らかにする。
著者はそのうえで、日本の企業会計原則の成立当時の論議を検証する。その結果、主導
的役割を果たした日本の学者らが米会計学者リトルトンらの学説に共鳴していたことを発
見する。リトルトンは米国では少数派の純粋な収益・費用観の持ち主だった。企業の利益
は、企業を取り巻くリスク、変化、不確実性といった要素に企業家の管理という力が加わ
って初めて生み出される。利益の源泉は経営管理活動だとする。費用(努力)と収益(成
果)の差額が利益になる。両者の期間的対応を可能にするのが、会計の中心目的とする。
では、当時の日本の会計風土はどうだったのか。著者は戦前の会計制度と実務をさぐる。
商法の制度上の会計観は、資産・負債観であった。しかし、当時の財務諸表準則である商
工省準則は、繰延資産、負債性引当金の計上を認めるなど収益・費用観に立ち、実務もそ
れにより運用されていた。リトルトン学説は、これに適合した。従って企業会計原則の会
計観が収益・費用観になったのは、突然、異質なものが移入されたのではなく、素地があ
るところにリトルトンの会計観を取り入れたものと結論づける。リトルトンの学説は米国
では実現しなかったが、日本で結実し、50年にわたり花を咲かせてきたというのである。
ところが、今、日本は金融商品会計基準など資産・負債観を取り入れている。純利益に
代わる包括利益という考え方もそうだ。これらの動きは会計観の転換を迫る。著者は企業
会計原則設定当時を超える展開になるという。影響は会計の世界にとどまらない。日本の
会社のあり方の根本問題にも及ぶだろう。そうした観点からの検証も必要と思う。(青)

 

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