[書評]

2009年9月号 179号

(2009/08/15)

BOOK 『会計基準の研究』

斎藤静樹著 中央経済社 3800円(本体)

企業にとって重要な財務情報の作成のルールである会計基準が日本で急速に変化している。資本市場のグローバル化や国際会計基準の動向が背景にある。会計学の碩学で企業会計基準委員長も経験した著者が再び学究生活に戻り、「研鑽の証」として本書を著した。企業会計の眼目である利益について、国際会計基準では資産・負債観に立つ包括利益の考え方が主流になってきている。これに対し、著者は、包括利益にはバランスシート以上の情報価値はなく、企業成果としての経験的な意味は何も明らかにされないという。資産や負債の公正価値(市場価値)という概念自体にも疑問を投げかける。そもそも、もの・・に内在する価値は経済学ですら昔に断念した実体のない鬼火を追いかけるようなもので、会計基準には寄与するか疑問だとする。こうした会計観に基づいて会計基準がつくられていくと、会計基準の品質が低下すると危機感を深めている。

 
価値でなく、コストや原価に着目し、収益・費用観に立つ近代会計のパラダイムがつくられた。著者は、それにも難点が生じていたとして、その克服と体系の回復を図るため利益の測定の再構築を試みる。研鑽の証が具体的に示されていく。著者が示す中心概念が投資の「リスクからの解放」という考え方だ。企業は投資家からの資金で事業プロジェクトを行い、個々の経営資源の集合(資産)価値を上回る無形の価値が生まれる。これが自己創設のれんで、この段階では、その価値は企業所有者に所属し、期待だけに留まっている。製品として市場で販売され、キャッシュフローの事実として実現されることで、収益・費用から利益の測定が行われる。投資家が求める財務情報は包括利益でなく、こうした実現利益だとする。
 
近年の会計基準改革の中心テーマだった企業結合会計基準について、委員長の体験も踏まえ、著者の考え方が示されている。著者は、事実として対等合併がある以上、持分プーリング法を適用する日本の基準が妥当としていた。しかし、廃止されることになった。残すかやめるかは、コストと便益を考えた社会的選択の問題だが、予定した対等合併の大半が終わったという判断も、「経済界が態度を一変させる原因のひとつ」としている。
 
資産・負債アプローチによる会計基準の「世界統合への政治的暴走」を前に、さすがに米国などアカデミズムのリーダーたちも沈黙を破り、警鐘をならすようになったとして、海外の論調が紹介されている。企業の価値は、静止した資源の束からでなく、それらをリスクにさらしたビジネス・モデルの実行から生まれる。企業は資産を栽培する「温室」でなく、製品をアウトプットする「炉」である。こうした企業観からは、資産の価値をとらえるバランスシート・アプローチより損益計算書モデルの方が企業の事実に即した情報を生み出すというのだ。金融危機がおき、時価や公正価値が正しいという会計界を覆ってきた幻想が部分的に破綻したという。会計基準が国際的にひとつに統一されていたら、身動きがとれなかったわけで、これをみても複数の会計基準が競争するほうが望ましいという。
 
学者としての良心と実務のとりまとめ役の板挟みに立っていた著者の思いが行間にあふれている。日本の既定路線が正しいのか改めて考え直してみる必要があるようだ。(青)

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