[書評]

2011年3月号 197号

(2011/02/15)

今月の一冊『株主総会制度の基礎理論--なぜ株主総会は必要なのか』

松井 秀征 著 有斐閣/6300円(本体)

株主総会は、企業の所有者である株主からなり、会社の意思を決定する必要的機関である。これが法の理念(制度)であり、学者の通説(理論)でもあった。ところが、現実(実態)には、株主総会の意思決定機能は形骸化していた。米国やドイツでは実態の変化を前提に制度を構築し、理論的基礎付けをするのに、日本では戦後、米国の影響を受けた法制度が実態と乖離していたのと同様、通説の議論も実態と乖離したまま展開されてきた。著者はこうした現実を前に、株主総会制度は果たして必要なのか、会社の意思決定を株主に決めさせることに意味があるのか、法の理念や通説は妥当なのかと問題意識をもつようになる。この疑問を解き明かし、現実と理念の乖離を生じさせないための基礎理論を提示しようと、株主総会制度で助手論文を書くという「向こう見ずな挑戦」をした。外国留学などで磨きをかけ、10年余をかけて上梓したのが本書である。

著者は、日本の会社制度の基礎となっている米国、ドイツの制度や理論、さらに両国の原型となっている英国、オランダの会社の起源に遡り、株主総会の存在意義や変容の姿を比較法的、歴史的に検討する。例えば、英国では元々、団体の意思決定手続きは会議体(総会)で行われていたのに対し、オランダでは企業の管理者一人が行っていて、専制的な経営とならないよう経営者を監視するための組織が総会の起源になっているとする。こうした違いもあって、地域、時代で株式会社には様々な理論的基礎付けが与えられていることを明らかにし、会社制度と株主総会制度の基礎理論として3つの分析枠組み(モデル)を抽出する。①政治的契機(目的)から成立した絶対主義的モデル、②出資者の所有と契約により成立する自由主義モデル、③出資者のほか労働者など利害関係者の利害も汲み取る多元主義モデルの3つである。①は東インド会社、②は19世紀後半の米国やドイツで成立した古典的株式会社、③は労働側と経営・資本側の共同決定方式がとられる現在のドイツの株式会社がそうだ。それぞれについて組織体としての株主総会と会議体としての株主総会に分けて、理論的基礎付けが明らかにされる。

著者はこの分析枠組みを使って、日本の分析に歩を進める。明治時代に制定された商法や株式会社制度は当時の欧州の商法典を参考にして、自由主義モデルのようにみえるが、所有の契機は会社の資金集めのため便宜的、政策的に採用されたに過ぎず、絶対主義モデルの修正版だったとする。

これが戦後、米国法の影響を受け、変化する。二つの時代に分けられる。昭和25年の商法改正からバブル期までは、形式的には自由主義モデルを採りながら実質的には多元主義モデルという特殊な状況があったとする。制度も理論も所有の契機を肯定しながらも、実態は株式相互保有構造により所有の契機は事実上否定され、所有に拘束されない高度の経営の自立性が経営者に与えられ、多様な利害を考慮することも認められていた。ところがバブルが崩壊し、平成期以降、これが変化する。株式相互保有構造が崩れ、形式のみならず実質的にも所有の契機による基礎付けができるようになった。昭和25年改正が前提とした所有の影響力が会社経営に及ぶという構造が50年の時をへて、ようやく実現した。ただし、所有の内容は契約により与えられるので、自由主義モデルの修正版とする。

では、株主総会は必要なのか。組織体としての総会は理論的に基礎付けられるが、会議体としての総会は、所有の内容が経営者の選任・解任機能に集約される結果、基礎付けができない。会議体としての総会はあっても、なくてもいいのものだと、出発点の問いかけの答えを出す。すでに米国では一部で電子株主総会制度を正面から認めている。やがて日本もそうなるのだろうか。こうした問題を考えるときの理論的基礎を与えてくれる。

本書は、株式会社についての知識の宝庫でもある。米国企業の発展、企業統合や敵対的買収の歴史、州会社法や連邦証券規制の動き、さらに理論面では所有と経営の分離、不完備契約の理論、法の経済分析などが平易に解説されている。米国に留学する学者が多い中で、著者はドイツを選んだ。それもあって、ドイツの産業発展、会社制度、株式法や共同決定法、背後にある社会主義思想の影響などもふんだんに紹介されている。

著者の視線は未来にも向かう。日本の今後の会社のありかたについても言及する。現在は、機能的な所有の論理により株式会社制度が構築されているようだが、これも経済的危機を迎えたわが国において、所有の有するインセンティブ効果を利用する必要があったからにすぎない。その前提が消え去れば、多元主義モデルが従前とは形を変え、かつての問題を克服する形で現れるだろうと。制度や理論は、「振り子」のように行きつ、戻りつ変化するもので、ある制度や理論が絶対的に優れているということはないし、ある一定の方向に収斂してしまうということもありえないという。

本のタイトルから想像できない地平に読者を導いてくれる。

(川端久雄)

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