[書評]

2011年5月号 199号

(2011/04/15)

今月の一冊『監査法人を叱る男-トーマツ創業者・富田岩芳の経営思想』

早房 長治 著 プレジデント社/1600円(本体)

国際的会計事務所のデロイト トウシュ トーマツ。その日本のメンバーファームが有限責任監査法人トーマツである。このトーマツが等松農夫蔵の姓だと分かる人がどれほどいるだろうか。元々、会計事務所はパートナーシップの組織形態に由来する。それで今、ビッグ4といわれる会計事務所の名称には創業者の個人名が列挙される。欧米人が連なるなかで、唯一、日本人が登場する。どうしてこんな快挙が起きたのか。本書はトーマツの創業に関わった一人の人物の伝記を通じて、そのドラマを解き明かす。

トーマツの前身の等松・青木監査法人が設立されたのは、1968年のことだ。当時、日本では監査法人の制度ができたばかりで、まだ全国規模の監査法人はなかった。不況の中、大企業の粉飾決算が相次いで発覚した。監査を徹底させるため大蔵省は本格的な監査法人の設立を考えた。旧海軍経理学校出身で戦後米国のビジネススクールに留学し、帰国後は、国際的会計事務所のアーサー・ヤング東京事務所長をしていた富田岩芳に依頼する。富田は海軍でノブレス・オブリージ(高い身分に伴う義務)の精神を身につけ、社会のリーダーとして生きようと決めていた。独立心や高潔さが求められる公認会計士にはぴったりの人物だ。富田や先輩の海軍少将だった等松が中心になり、各地の会計事務所を結集して創業に漕ぎ着ける。日本の有力監査法人の誕生に海軍経理学校の関係者が関与している事実は興味深い。

当時、等松が描いた基本構想が紹介されている。他国に遅れてわが国に移入された公認会計士の制度を発展させ、国内的にも国際的にも信頼度の高い監査法人をつくり上げること、メイフラワー船上の盟約にも譬え、結束と統一を呼びかけたことなどが分かる。理想主義と国際主義の松明が高々と掲げられた。

等松は創業から3年目に病で倒れた。その後、等松・青木の国際化戦略をリードしたのが富田だ。創業直後から海外駐在員を派遣し、ニューヨークに事務所を設立、8年後には、当時ビッグ8の一角を占めたトウシュ ロスのメンバーになる。さらに89年、デロイト ハスキンズ アンド セルズとトウシュ ロスの合併では渡し役になる。海外展開が遅れていたデロイトにとって、多くの大手日系企業をクライアントにもち、世界各地にサービス網を張り巡らしたサンワ・等松青木監査法人はまさに「王冠の宝石」だった。それで、デロイト、ロスと同格に扱われ、合併後の新国際組織の名前にトーマツが刻まれる。日本企業の世界進出が頂点を迎えた時代を象徴するエピソードである。ただ、この名前も永久に残る保障はない。日本の経済力の回復を祈りたくもなる。

本書は、日本の会計・監査業界の歴史を知るうえでも便利だ。日本の会計・監査システムは戦後、GHQの命令でつくられたが、欧米と比べて低品質なまま半世紀を経過した。監査法人の制度ができてからも、大沢商会、三光汽船などの事件が続く。住専破綻を経て、90年代後半、山一証券、長銀などの大型破綻が相次ぐ。その後、カネボウ粉飾事件は、中央青山監査法人が破綻に追い込まれるなど、会計・監査業界にとって戦後最大の事件となった。こうした事件と関与した監査法人、大蔵行政のあり方などが具体的に語られていて資料としても役立つ。

富田は創業以来、国際化とならんで日本から粉飾決算をなくし、企業を健全化することを目標としてきた。「大企業と会計・監査業界が公正な会計・監査の重要性にもっと早く目覚めていればバブルも失われた20年もさけられた」という言葉が説得力をもって読者にも伝わってくる。富田は今も、世界を飛び回る。自分が信じることに忠実で、時には舌鋒鋭く発せられる正論は、周囲から煙たがられ、日本の会計・監査業界からは正当に評価をされていないようでもある。本書は歴史の「列伝」としての意義がある。

著者はジャーナリストとして長年、政治家や経済人を取材してきた。「過去に存在した魅力に満ちたリーダーが姿を消す現象」を憂い、リーダー不在の社会に危機感をもつ。新しいリーダーをどう育てたらいいのか。「去り行く輝かしいリーダーたちからリーダーのあり方、育て方を急いで学ぶこと、直接話を聞くことが最善である」といい、70歳を超えた今も、現役ジャーナリストとして伝記を書き続けている。その意気やよしである。

(川端久雄)

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