[書評]

2014年8月号 238号

(2014/07/15)

今月の一冊 『日本クレジット市場の特徴と投資分析』

 後藤 文人 著/中央経済社/3400円(本体)

今月の一冊 『日本クレジット市場の特徴と投資分析』後藤 文人著/中央経済社/3400円(本体)  企業の資金調達を支えるのが株式市場(エクイティ市場)とクレジット市場(デット市場)である。日本の株式市場は海外投資家も増え、まずまず機能しているが、クレジット市場は国内機関投資家や銀行が中心で、流動性も低く、正常に機能していない。企業セクターが活性化し、日本経済が再生するためには、クレジット市場の正常化が求められていると言うのである。

  クレジット市場は銀行ローンや社債などからなる。その役割は、企業の信用リスクに応じて企業を選別することにある。成長力、競争力のある借り手に資金を供給する一方、力を失った借り手に変革を迫り、時には市場から退出させるのだ。これにより企業の新陳代謝や産業構造の転換が図れる。経済は活力を維持できるのだ。

  社債などデットの魅力は、エクイティより資本コストが安いことだ。米国ではアップル、グーグルなど新興企業が社債で資金調達をして成長している。ところが、日本では新興企業が社債を発行するのが簡単でない。クレジット市場が未成熟で、本来の役割を果たしていないのだ。

  なぜ、日本ではクレジット市場が未成熟なのか。最大の理由は、日本のシステミック・サポートの伝統である。政府、金融機関、企業グループなどから形成される政治経済システムが特定の産業や企業の信用力維持のために支援をしてきた。このため、社債のデフォルト(債務不履行)が少なく、投資家はリスクに気を配ることがなかった。

  山一証券などが破綻した1997年にヤオハンの転換社債が初めてデフォルトした。投資家が信用リスクに目覚めたのだ。著者はこの年をもって、日本のクレジット市場の実質的誕生の年(クレジット元年)としている。その後も、マイカルの倒産で、普通社債がデフォルトするなどし、徐々に市場参加者の意識が変わってきているが、依然として様々な形でシステミック・サポートは続いていている。これが日本のクレジット市場の最大の特徴だと言う。日本航空、エルピーダメモリ、東京電力など経営危機に陥った6社の事例を取り上げ、なぜシステミック・サポートが行われたのか、行われなかったのかの分析を詳細に展開している。エルピーダメモリの国民負担が最大277億円になったことは、経営危機に陥った企業に対する安易な政府支援に対する警鐘だと言う。

  未成熟のもう一つの理由は日本の社債制度改革の遅れである。90年代に銀行や証券から構成される起債会が解散し、大蔵省の適債基準も撤廃され、自由化が実現したが、その後も、社債市場は非投資適格級債券には投資しない、信用リスクは悪いものだという起債会時代の呪縛から解放されていないと言うのだ。

  このため、日本の投資家はクレジット分析の経験や知識に欠けている。著者は日本興業銀行や外資系証券で22年にわたりクレジット分析の仕事に携わってきた。その経験を基に、本書でクレジット分析の要点を紹介している。

  企業の信用力を判断するためには事業面と財務面の両方から分析する必要がある。事業面では、産業特性、競争的地位、経営力などをみる。財務面で大切なのは、債務とその返済能力のバランスだ。営業キャッシュフローが債務返済の主たる原資となる。クレジット指標として、日本ではデット/エクイティ比率が好まれているが、これは当面の財務上のリスク耐久性を示す財務指標であって、キャッシュフロー創出力に関係していない。そこで、純有利子負債/EBITDA倍率で分析することが適切と強調している。

  M&Aも企業の信用力に影響を与える。買収資金を借り入れに頼ったM&Aや、買収先の資産や将来キャッシュフローを担保に多額のデットを調達するLBOは影響が大きい。2005年から07年にかけ、PEファンドが台頭し、欧米でLBO旋風が吹き荒れたときには、社債の価格が大幅な格下げとなった。社債が担保付きレバレッジドローンに劣後するためだ。

  日本でも、ソフトバンクが英ボーダフォンの日本法人をLBOで買収した際、格付会社は日本法人の格付けを引き下げた。このため、日本法人が発行する社債のクレジット・スプレッドが急拡大し、投資家は評価損を抱えた。これを契機に、日本でも社債のコベナンツとして、チェンジ・オブ・コントロール条項を設定する必要があるといった議論が盛り上がったこともあったと言う。

  M&Aがクレジット市場に参加している投資家にどういう影響を与えるか、M&Aに関係する者が知っておいてもいいだろう。

  日本では株主価値の言葉は熟してきたが、それと比べて、信用力の言葉はまだまだだ。バランスシートの右下の純資産の部が株主価値に対応する。右上の負債の部が信用力に対応する。企業経営者は、株主価値の拡大だけでなく、信用力の維持・向上も図らなければならないのだ。

  著者は今、日本を離れ、英国の大学の博士課程で『日本クレジット市場の政治経済学(仮題)』をテーマに博士論文に取り組んでいる。この論文を基にした次作の出版を期待したい。

(川端久雄<マール編集委員、日本記者クラブ会員>)
 

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