[【小説】経営統合の葛藤と成功戦略]

2014年10月号 240号

(2014/09/15)

第64回 『内向き目線からの脱却:共通敵』

 神山 友佑(デロイト トーマツ コンサルティング パートナー)
  • A,B,EXコース

【登場人物】  山岡ファイナンスサービス社と渋沢ファイナンスコーポレーション社は、1年半に及ぶ準備期間を経て、ついに経営統合日を迎えた。全社員が新たな門出を迎える中で物理的な組織融合も開始されたが、本社では末端に近い社員ほど多くのフラストレーションを溜めつつあった。
  一方で地方拠点では、本社とは異なる形で融合が進もうとしていた。

兼務の遂行

  経営統合後、松尾は山岡FS社の経営企画室長の役職に引き続き従事すると共に、新設された「みらいフィナンシャルサービス・ホールディングス」の戦略企画部長にも就任した。当該部門は「新グループを牽引する中期戦略策定」が主なミッションとされたが、日々の業務は所謂経営企画室的な役割である。
  事業会社の経営企画室長というのは責任とプレッシャーだけではなく、圧倒的な業務量に忙殺されるのが一般的だ。また松尾は経営企画室長に加え、過去1年半にわたり山岡FS社側の統合推進事務局長を兼務してきた。業務量の多さだけを考えても、この兼務は「無理がある」という見方が当初大勢を占めていた。松尾も統合推進事務局長に任命された時点では、「今の仕事のやり方では早晩続かなくなるだろう」と予想していた。しかし一方で「何とかなるのではないだろうか、走りながら考えよう」という思いも、確信には至らずとも心の奥底にあった。そして結果的に松尾は二つの職務とも勤め上げた。
  兼務を最後までやり遂げられ、そして共に成果を出せた最大の理由は「部下の飛躍的な成長」にあると松尾は感じていた。この1年半で、山岡FS社の経営企画室も統合推進事務局も多くの人材が育った。特に中盤あたりから松尾の部下の存在感が大きく増し、終盤には右腕と呼ばれる人材さえ生まれた。これは決して松尾の意図したところではなく、松尾も驚きを持って受け止めていたほどだ。意図してできるのであれば、経営統合など関係なくずっと前からやっていたはずだ。

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