[書評]

2014年12月号 242号

(2014/11/15)

今月の一冊 『日本の資本主義と会社法――グローバルな基準への提言』

 森田 章 著/中央経済社/3200円(本体)

今月の一冊 『日本の資本主義と会社法――グローバルな基準への提言』  森田 章著/中央経済社/3200円(本体)  会社法が改正された。目玉の一つが社外取締役の事実上の義務づけといわれる。これによって日本の会社は効率経営を行うようになり資本主義は前進するのか。著者はノーだという。

  資本主義の本質は、企業が不定量の財産増加(無限の富)を求めて競争することにある。グローバル化した今日の資本主義の下では、その競争もグローバル規模で展開されている。会社法制もグローバル資本主義に対応し、企業が効率経営をできるようにしていかなければならないのだ。

  では、何が問題なのか。米国の考え方は株主利益の最大化をコーポレートガバナンスの指導原理とすることによって、その実現を目指す。日本でも海外投資家の株式保有比率が増え、このような考え方を採ることへの要求が高まっている。この声に応えるため、会社法改正で社外取締役の起用を促進する改正が行われた。しかし、社外取締役を一人置いたぐらいで、株主利益の最大化をさせることには無理があると著者はいう。

  効率経営を進めるために何が問題なのか。日本企業にとって一番欠けているのはリスクテークだ。企業が利潤を求めて行動する場合、リスクがついて回る。しかし、日本では失敗すると、取締役らが厳しく民事責任を問われる法制になっている。これが経営者を萎縮させていると著者は指摘する。このため、日銀の超金融緩和政策にもかかわらず資金が銀行から企業に流れていかない。代わって官民ファンドが花盛りだが、意味の分からない投資も多く、政府主導の資本主義の展開も行き詰まっているというのだ。

  どうすればいいのか。会社法で、経営判断の原則を規定することが必要だと主張する。経営判断の原則は、企業がリスクテークできるようにする法的インフラである。米国で1960年代に判例で確立した。米国では、会社に営業の自由があり、裁判所は経営政策をコントロールするようなことはしない。不成功となった経営判断の責任を追及するようなことはなく、悪質な経営判断に対し、稀に取締役に責任を課すだけだ。

  ドイツでも、2005年に株式法(日本の会社法)に米国流の経営判断の原則を受け継いだ条文を置いた。「取締役が企業家的決定において適切な情報を基礎として会社の福利のために行為したと合理的に認められる場合、義務違反はない」というものだ。同時に、経営者の責任を問う株主代表訴訟のハードルも高くしている。

  ドイツは、株主の権利だけなく、労働者の利益も重視される。この点で企業の公共性を重視する日本と似ている。しかし、日本は、会社法改正で多重代表訴訟制度を創設するなど、株主代表訴訟を拡大している。両国の最近の会社法の動きは対照的だ。

  日本で経営判断の原則はどうなっているのか。最高裁もアパマン事件で和製の経営判断の原則といわれるものを判示している。しかし、取締役の経営判断の過程や内容に踏み込んで、著しく不合理でなかったかどうかを規範的に判断するものとなっている。

  これでは、後知恵で責任を追及される心配がある。経営者は安心してリスクテークできない。日本もドイツを学び、会社法で正面から経営判断の原則を取り入れる。これにより取締役を民事責任追及の恐怖から解放する。グローバル化した資本主義の下、日本の会社法制もグローバル基準に合わせていく必要があるというのである。

  本書では、資本主義と会社法の関係、資本市場の課題だけでなく、会社法と憲法の私有財産権や営業の自由との関係、国家による企業支援の問題も論じられている。日本航空の会社更生における株主の権利の扱い、福島原発事故での国家と株主の損害の負担といった問題も俎上に上げている。いずれも会社法学者が正面から論じることを敬遠してきた分野である。著者の問題提起を契機に、会社法学者の間で議論が深まることを期待したい。

  著者は、資本主義とは何かという問題意識から研究者生活を始めたという。資本主義のあり方を決定づけるインフラである会社法制を研究することで、資本主義を解明しようとしてきた。会社法や金融商品取引法に関連する著作や論文を著してきたが、上場会社法総論の確立こそが学問上の課題とならなければならないと決意した。そのためには経済学、憲法、倒産法の領域まで踏み込まざるを得ず、意外な発見に驚きながら、集大成として本書を上梓したという。60代半ばを迎えた研究者の初心忘るべからずに頭が下がる。

(川端久雄<マール編集委員、日本記者クラブ会員>)
 

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