[特集インタビュー]

2022年2月号 328号

(2022/01/13)

世界トップレベルのスタートアップと組む「CVC4.0」戦略

―― 不作為によるイノベーションの失敗から抜け出すために

米倉 誠一郎(法政大学経営大学院 イノベーション・マネジメント研究科 教授、一橋大学 名誉教授)
  • A,B,EXコース
米倉 誠一郎(よねくら・せいいちろう)

米倉 誠一郎(よねくら・せいいちろう)

1953年 東京生まれ。一橋大学社会学部(1977年)、経済学部(1979年)卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了後、ハーバード大学歴史学博士号取得(PhD.)。1995年一橋大学商学部産業経営研究所 教授(~1997年)。1997年一橋大学イノベーション研究センター 教授(~2017年)。2009年六本木アカデミーヒルズ日本元気塾 塾長(~現在)。2012年プレトリア大学GIBS日本研究センター 所長(~2015年)。2014年認定NPO法人クロスフィールズ スペシャルアドバイザー(~現在)。2015年認定NPO法人Teach For Japan アドバイザー(~現在)。2017年一橋大学定年退職。一橋大学イノベーション研究センター 特任教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授に就任。著書多数。近著に『シリコンバレーは日本企業を求めている 世界が羨む最強のパートナーシップ』(アニス・ウッザマン外の共著、‎ダイヤモンド社刊)がある。

日本停滞の最大の要因

-- 日本経済は、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と称賛され一時期は世界から非常に注目されました。しかし現在、ビジネスのルールががらっと変わる中で、“失われた30年”とさえ言われる状態になっています。日本停滞の最大の要因をどう見ておられますか。

米倉 誠一郎氏
 「IMF(国際通貨基金)の『世界の名目GDPランキング』で上位10カ国の1998~2020年の伸び率を見ると、1位の米国は231%、2位の中国が1438%、そして3位の日本は123%で、日本の一人負けが明らかです。この日本の停滞の最大の要因は、生産性の低さにあります。2019年時点でOECD(経済協力開発機構)加盟国の時間当たりの生産性を換算した資料によると、日本の時給は47.9ドルで世界21位となっています。日本人は勤勉ですが、問題なのは生産性を上げるために必要な設備投資や働き方の改革がなされてこなかった点にあります。さらに深刻なのが賃金水準の低さで、OECD加盟国の平均賃金(年収)を比較してみると、日本は24位と先進国では最低レベルです。また、1998~2019年までの賃金の伸び率では、米国127%、ドイツ120%、英国132%、フランス124%で、イタリア(104%)以外のG7加盟国は2割以上伸ばしており、お隣の韓国を見ても146%と5割近く伸ばしているのに対して、日本は101%です。一方で、2019年の日本企業の内部留保は名目GDPに迫る475兆円まで膨れ上がっています。これらのデータから見えてくるのは、必要な投資と賃上げをせずに、いたずらに短期的収益を続けてきた日本企業の姿です。

 しかし一方で、国際的コンサルティング企業であるレピュテーション・インスティチュートの『世界国別評判ランキング』の2019年の調査では、GDP上位55カ国中日本は11位。またシンガポールの東南アジア研究所が2019年にASEAN10カ国で行った調査を見ると、『世界の平和、安全保障、繁栄、ガバナンスに貢献するために正しいことを実施する国であると信頼できるか』との問いに、『非常に信頼できる』、『信頼できる』の合計で日本は61.2%と最も高い評価を受けてもいます」


日本の経済成長を牽引した2つのモデル

 「日本はなぜ1990年まで大きな成功を収めたのか。そこには『モデル』がありました。人口に膾炙したモデルを創り出さない限り、圧倒的な競争力を築くことはできないのです。1950年代から1970年までの日本のそれは、メインバンクの支援を中心とした企業グループによる設備投資先行型の『高度経済成長モデル』でした。1950年代から始まる高度経済成長は、造船、鉄鋼、石油化学といった資本・資源集約型の装置産業に牽引されました。しかも、この高度経済成長モデルは偶然に生まれたものではなく、私が尊敬する川崎製鉄の西山弥太郎氏に代表される、戦後の経済人パージから免れた新しい経営者たちによって主導されました。西山氏は世界銀行、政府そして民間からの長期借り入れで最新鋭の設備を導入するという『設備投資先行型』の成長モデルの原型を作ったと言えます。

 その後、1970年代に入ると、円切り上げを迫ったニクソンショックと中東戦争に端を発した2度のオイルショックが労働集約型の軽工業と燃料依存型の重化学工業を直撃しました。しかし、この2つのショックを契機に、日本は機械組み立て工業を主体とする産業構造へと大転換します。これによって、重電や鉄鋼業と入れ替わる形で自動車と家電が大きく伸びることになります。

 ここでは、日本独特の生産モデル、投資モデルとも言える『系列モデル』が存在し、戦後築き上げた日本的な労使協調体制やQCサークル活動が威力を発揮しました。こうして出来上がった日本の金融系列・企業集団はグローバルに競争優位性を持っていました。特に

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