[書評]

2016年7月号 261号

(2016/06/15)

今月の一冊 『スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書』

 ジョセフ・E・スティグリッツ 著、桐谷 知未 訳/徳間書店/1600円(本体)

今月の一冊 『スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書』 ジョセフ・E・スティグリッツ 著、桐谷 知未 訳/徳間書店/1600円(本体)  本書はノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツ教授をメインの著作者として書かれたものだが、おおもとはルーズベルト研究所の報告書という形で主として政策決定者向けに発表されたものだ。その報告書はアメリカでは、該当者のひとびとをはるかに超えて大きな反響を呼んだという。その日付は不明だが、例えば本書によれば、「ニューヨークタイムズでは“最上層への莫大な富の集中と、さらに強まる中間層への搾取を導いた35年の政策(レーガノミックスに始まる自由主義経済政策)を書き換えるための青写真”」と報道されたという。

  報告書の中心メッセージはシンプルで、アメリカ経済のバランスが崩れたのは経済を支配するルールのせいだ、だからそのルールを書き換えればよい、というものだ。

  それで本書の原題はそのままシンプルに“REWRITING THE RULES OF THE AMERICAN ECONOMY” となっている。

  それにもかかわらず邦訳本のタイトルは、”これから始まる「新しい世界経済」の教科書” だ。漠としたタイトルなので、これでは著者たちのシンプルなメッセージは伝わらない。翻訳者の意図を筆者なりに忖度すると、世界各国はアメリカ経済をロールモデルとして形作られており、またアメリカは自分たちのルールを世界に押し付けてきたという歴史もある、そのことを踏まえて翻訳者はこれを日本の読者向けのタイトルとしたのだろう。つまり、アメリカのルールが変われば世界経済も変わる、だから本書はその教科書となる、ということなのではないか。

  本書を読んで筆者は日本と世界経済の未来に希望を持った。望むことは難しいかもしれないが、中間所得層の厚みを増すことが健全な日本経済の長期的発展を達成する方策なのだ、という理論構築をして具体的な論文を発表する日本の経済学者が出現してくることを切に期待したい。

  以下に本書の要約を記すが、これはあくまでも筆者なりの視点であって、本書を読む人によってその捉え方は当然に違ってくるだろう。

  アメリカ経済は、1980年代からサプライサイド経済学の影響で大きく変わってきた。サプライサイドの考え方は、規制緩和と最富裕層に対する減税、社会保障制度と公共投資の支出削減というもので、つまるところトリクルダウン経済学だ。

  その結果はどうだろう。教授たちの分析によれば、税収は大幅に減り、そしてアメリカ経済は最富裕層にのみ奉仕する経済に変わってしまい、「富はしたたり落ちなかった」。つまりサプライサイドの経済理論は間違っていたのだ。1965年には、CEOと労働者の平均年収比は20対1、これが2013年には295対1となった。また、リーマンショック後の2009年から2012年までのアメリカ国民の収入増加の91パーセントが最富裕層をなす1パーセントのふところに収まった。この経済的不平等は危機的水準に達している。収入増加の恩恵にあずかれない残り99パーセントのアメリカ国民は不安と怒りを感じている。その具体的な行動としては、例えば「ウォール街を占拠せよ」という荒れた動きがあった。

  規制緩和というのは実際には、特定の関係者に好都合となるように経済を制御するための新たなルールだったのだ。規制の範囲を狭め、市場支配力を制限なく拡大する領域を開いた。市場支配力を強化すれば価格の引き上げが可能となる。

  さらに企業は利害関係者全員、労働者、株主、経営陣への奉仕から、株主の利益を増すことを口実に、トップ経営陣のみに奉仕する方向へ進んだ。金融セクターはテクノロジーの進歩で、経済効率の改善より他者から搾取する能力の向上を追い求めた。そして見境ない拡大と市場操作等の不正行為を助長した。

  金融セクターは企業に向けては「短期主義」を奨励した。この短期的な株価重視は、健全なイノベーションや長期の繁栄につながる投資を減らしただけでなく、管理職が従業員たちを長期的な資産というより短期的な負債として扱うことを助長した。その結果、アメリカが誇りとしてきた「豊かな中産階級」が没落し始めたのだ。

  こうしてアメリカ経済は、最大手企業と最富裕層の富を増し、経済的不平等を拡大し、そして経済成長は生み出さなかった。金融セクターの野放図さは金融・経済の不安定化をもたらし、金融恐慌が頻繁に起きるようになった。

  スティグリッツ教授たちは、「市場は、国の法律制度と政治制度によって形作られている」もので、「ルールには経済の働きを構築しているあらゆる規制と法の枠組み、社会規範」等があり、「市場を構築して、ルールと規制を定め、そのもとで稼働させるのは政府」である、という。

  「ルールと制度は経済を背後から支えるものであり、それらのルールをどう定め、更新し、実施するかがあらゆる人に影響を与える」。その根幹は「金融システムの巨大化への対処と、それが民間企業の行動と経済全体にわたる意思決定に与える影響への対処」だ。また古い経済学では経済実績と不平等の拡大はトレードオフの関係にあると考えていたが、現在ではこれは間違いで経済実績を好転させると同時に不平等は減らせることも分かってきた。新たな見方では、中間層から経済を立て直す、つまりトリクルアップ経済学の方が成功する可能性が高い、と教授たちは指摘する。

  本書ではアメリカ経済の現状の問題点を広範囲に洗い出し、そのそれぞれについて解決策を用意している。そしてその分析と議論以上のもの、つまり行動を政府関係者に求めているところに特色がある。

  「フランクリン・ルーズベルト大統領は、成長と公益の両方を追求し、政府と民間セクターのバランスをとる制度を練り上げた」。セオドア・ルーズベルト大統領の「ニューディール政策は、不平等の大幅な縮小と、その後数世代にわたって持続する巨大な経済的利益の基準を示した」。現在、アメリカ国民が体験している不平等は、「ひとつの選択なのであり、もっとよい選択をするチャンスはある。ルーズベルト大統領の約束を現世代のわたしたちが実現できれば、のちの世代に感謝されるであろう」という。

  この文章はルーズベルト研究所の報告書ならではのものだが、おそらくその通りなのだろう。アメリカのルールが変われば世界が変わる。ルーズベルト研究所の今後の活動に期待したいし、そこに希望があるようだ。

(編集委員 梅本建紀)

バックナンバー

おすすめ記事