[寄稿]

2021年8月号 322号

(2021/07/15)

国内M&A保険(表明保証保険)の現状と課題

宍倉 浩司(マーシュジャパン プライベートエクイティアンドM&Aサービス シニアバイスプレジデント)
  • A,B,EXコース
1.はじめに

 表明保証保険は、2000年以前から欧米において活発に利用され始め、現在ではオセアニア・アジアを含めて世界中で活用されている。日本では、AIU保険会社(現AIG損害保険会社)が2004年に発売を開始したが、2010年代半ばまで日本企業に利用されることは、あまりなかったと思われる。

 2015年あたりから大きく流れが変わり、日本企業が海外の企業を買収するクロスボーダー案件において、表明保証保険が活用される機会がかなり増えてきた。特に、売主がPrivate Equity(PE)ファンドや個人の創業者(一族)である場合において、表明保証違反により生じる賠償責任を長期間負担することができないとの観点から、保険の活用を条件としたオークション(入札)の実施や、売手主導で保険が手配(Sell-Buy Flip)されることが、格段に増えたと感じている。

 2020年より前は、保険会社における表明保証保険の引受審査は、英文の株式譲渡契約書(SPA)デューデリジェンス(DD)レポートをベースに行われ、保険を購入する場合には少なくともSPA、可能であればDDレポートのエグゼクティブ・サマリーの英訳が必要であった。また、保険の審査過程の中で行うアンダーライティング・コールも英語で実施され、保険の活用を前提とすれば、英語対応が可能なアドバイザーを起用する必要があった。

 アジアにおいては、Liberty、AIG、Berkshire Hathawayなどの外資系保険会社が表明保証保険の主な引受のマーケットであり、国内で証券を発行する場合は国内拠点または提携会社を通じて行われていた。日本の保険会社では、唯一、東京海上日動火災保険(以下東京海上)が買収した子会社(TMHCC)を通じて、日本企業がバイヤーとなるクロスボーダー案件に対して、積極的に保険の引受を行っていた。


2.2020年以降

 国内のM&A案件(In-In案件)においても表明保証保険の活用がなかった訳ではないが、利用されるケースは、売手か買手のいずれかが外資系PEファンドや多国籍企業など、ある程度英語環境が整った案件にほぼ限定されたと思われる。一方、国内のPEファンドエグジット案件や事業承継案件などでは、ファイナンシャルアドバイザー(FA)や弁護士事務所(LA)は、表明保証保険の活用について潜在的なニーズがあると考えていた。

 そのような中、2020年初頭に、日本の損害保険会社として初めて、東京海上が国内M&A取引向けの表明保証保険(以下国内M&A保険)の発売に踏み切った。その後、損害保険ジャパン(以下損保ジャパン)、三井住友海上火災保険(以下三井住友海上)、あいおいニッセイ同和損害保険(以下あいおいニッセイ同和)が相次いで表明保証保険の認可を取得し、発売を開始した。2021年6月時点は、国内の大手保険会社4社の国内M&A保険に加え、AIG損害保険の従来型の表明保証保険を含めた、合計5社の保険商品を比較・検討できる状況になっている。

 また、最近では経済産業省と中小企業庁が中小企業のM&Aを促進させるため、表明保証保険の保険料を補助する事業を2021年夏にも始めるとの新聞報道もあり(日刊工業新聞2021年5月14日)、事業承継や再成長を目指す中小企業による保険の更なる利用が期待されている。

 国内M&A保険の一番の利点は、保険を引受ける際の審査が全て日本語で行われるという点である。従来の表明保証保険では、保険会社に引受の審査を依頼するにあたり、少なくともSPAを英訳する必要があり、保険証券も英文で発行されていた。一方、国内M&A保険では、当然のことながら保険証券も和文で発行されることとなる。

 なお、本稿では以降、従来からある英語対応が必要な保険への言及は「表明保証保険」と表記し、2020年以降に国内大手損害保険会社が発売した日本語対応の保険に言及する際は、「国内M&A保険」と記載する。


3.国内M&A保険マーケットの現状

 国内M&A保険マーケットの状況を保険会社について見ると、いち早く認可を取得し発売を開始した東京海上が、クロスボーダー案件での表明保証保険の引受を通じて積み重ねた経験や知見を国内M&A保険にも生かし、リードしているとの感がある。

 保険仲介業者についていえば、筆者の勤務するマーシュジャパン(以下マーシュ)が、海外拠点と連携しながら、日本企業が絡むクロスボーダー案件に対して、数多くの表明保証保険に関与してきた。証券の多くは海外で発行されているため、海外発行分までをカバーする明確な統計はないが、保険会社からのヒアリングによると、マーシュは当該分野でかなり大きなマーケットシェアを有しているとのことである。また、国内M&A保険についても、着実に実績を積み重ねており、クロスボーダー案件と同程度のマーケットシェアを獲得しているものと思われる。マーシュがクロスボーダー案件で協業してきたFAやLAからの国内案件の引き合いが多数あり、取り扱い件数の増大に繋がっている。クロスボーダー案件で表明保証保険の活用に慣れているFAやLAは、国内M&A保険に対しても同様の使い勝手の良さを期待しているだろう。さらに、マーシュが国内M&A保険を扱うようになってからは、従来にはなかったM&A仲介業者との接点も増えるようになった。

 さて、かなりの件数の国内M&A保険を取り扱った筆者の経験上、当該保険のマーケットは良い意味でも悪い意味でも、ガラパゴス化しつつある傾向が感じられる。ここでは、従来型の表明保証保険との比較も含めて、国内M&A保険の現状について解説する。

(1)保険料

 一般的に損害保険会社が保険料を算出する場合、「大数の法則」により事故や災害の発生確率を導き出し、リスクに見合った適正な保険料を算出している。そういった意味では、表明保証保険については既に発売開始以来20年以上が経過しており、大数の法則に基づいた計算を行う上での、十分な母集団(契約件数)が存在すると言ってもよいだろう。

 一方、国内M&A保険については、発売からまだ2年足らずであるため、保険会社はどの程度の料率を適用すれば、受け取る保険料の総額と支払う保険金などの総額の収支が均衡するかについて、統計的な分析を行うための十分なデーターを持ち合わせていない。したがって、現時点においてはコンサバティブに高めの保険料を算出しているとの見方ができる。下表は、あるIn-In案件で保険会社2社が提示した保険料の例をアレンジしたものである。現時点では表明保証保険と国内M&A保険の保険料水準には大きな開きがあり、SPAの英訳に多少のコストがかかるとしても、表明保証保険のコストパフォーマンスは遥かに高い。ただし、活用にあたってはアンダーライティング・コールや保険会社からの質問書への英語対応が可能であることが前提となる(図表1)。

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