[編集部から]

2023年8月号 346号

(2023/07/11)

次号予告と編集後記(2023年8月号)

次号予告

2023年9月号
特集:アクティビスト動向と2023年6月の株主総会の振り返り
2023年8月9日 マールオンライン上のリリース 
2023年8月15日 発売
※内容は変更されることがあります。タイトルは仮題です。

編集後記

■佐賀県吉野ヶ里遺跡の発掘調査を踏まえて、佐賀城本丸歴史館長の七田忠昭氏が中国の歴史書「後漢書」に名前が登場する「帥升(すいしょう)」が、吉野ケ里の“国”(と言っても今でいう集落程度の規模でしょうが)の王だったとする説を発表しました。帥升は邪馬台国の女王卑弥呼(247年死去)より100年以上前の人物で、後漢書には「倭面土(めと)国王帥升」と記されています。
石棺墓が埋葬された弥生後期は「邪馬台国」が存在したとされる時代で、これを機会にまたぞろ邪馬台国論争が盛り上がりそうです。
邪馬台国は中国の後漢末期から蜀・魏・呉の三国が争覇した三国時代(180年頃から280年頃)までの歴史を西晋の陳寿(233~297年)が記述した『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんびとういでん )倭人条に初めて登場します。
邪馬台国を巡っては畿内、九州説の論争が長く続いていますが、720年に完成したとされるわが国初の勅撰国史「日本書紀」(「古事記」は勅撰国史ではありません)では邪馬台国も卑弥呼もほとんど無視されています。日本書紀の記述に携わった官僚は、中国の陳寿同様、当時としては一流の優秀な官僚であったはずで、その優秀な官僚が邪馬台国も卑弥呼もほとんど無視したということこそ重要だと思います。
そんなことで、邪馬台国についてはほとんど中国の勅撰国史に頼る以外ないのですが、中国の優秀な官僚が、日本人との交流、証言を得てようやく邪馬台国の謎を解いたのが『新唐書』(1007~1072)日本伝です。小説家や学者の邪馬台国論争に巻き込まれてきた方(私もそうですが)は、下記論文が参考になると思います。(いずれも無料です。ちなみに、日本神話の故郷は,南九州の吾田<現鹿児島県加世田市付近>にあるようです。このあたりの遺跡発掘も興味津々です)(耕)
http://www3.point.ne.jp/~ama/wakokuden/
http://www3.point.ne.jp/~ama/

■1995年創刊のM&A専門誌「マール」を遡ると、1985年分からM&A件数・金額が掲載されています。それによると1985年当時のM&A件数は2022年の4304件に対し僅か260件でした。その前年、私が新卒で入社した企業は、配属直後にA社と合併し社名も変わるとの告知があり、ほどなくして次はB社と合併するという、当時はまだ珍しかったM&Aを積極的に活用していました。その後の転職先でも何かとM&Aと縁が深く、現在就業中のM&Aデータ会社を含めて、常にM&Aに近いところにいました。その為か、20代の地方勤務時も、人事異動で拠点が東京になって以降も、実に変化の多い企業で仕事をしてきたなというのが率直な感想です。
前置きが長くなりましたが、この度、レコフデータを退職し地方に戻ることとなりました。担当をさせていただいたMARR Online会員の皆様、そしてこれまで支えていただいた全ての関係者の方々に心より御礼申し上げます。
地方に戻っても、M&Aと聞けば聞き耳を立てる癖が暫くは残るでしょう。どこに行ってもMARR Onlineから目が離せません。(祥)

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