[特集インタビュー]

2017年2月特大号 268号

(2017/01/19)

濱田宏一・イェール大学名誉教授が語る「米トランプ政権誕生とアベノミクスの今後」

 濱田 宏一(イェール大学名誉教授、内閣官房参与)
  • A,B,EXコース

浜田 宏一

目次

TPPの前に立ちはだかったトランプ政権

-- トランプ氏が次期米大統領に決まりました。ドナルド・トランプ政権の下では財政拡張策が採られるというのが大方の予想で、それによってインフレ圧力が強まると見られています。そうした中で、米連邦準備理事会(FRB)は2016年12月14日の米連邦公開市場委員会(FOMC)において、1年ぶりに0.25%の利上げを決め、短期金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を年0.25~0.50%から0.50~0.75%に引き上げました。日本ではトランプ氏の米大統領選勝利を受けた円安・株高が景況感を押し上げた形になりましたが、先行きについては慎重な見方が根強い状況です。濱田先生は、米国のトランプ政権誕生をどのように受け止めていますか。

「選挙中は過激な言動で何かと話題を呼んだトランプ氏ですが、大統領選の勝利後は変化も見えてきています。かつて、ロナルド・レーガン氏が大統領に就任した時も俳優出身で比較的政治経験の少ないレーガン氏について、進歩的な経済学者の中にはレーガン政権について非常に心配する向きもありました。しかし実際には、経済面についてはうまくいったかどうかは分かりませんが、政治の面では米ソ冷戦の終結に道筋をつけて政治家としての評価を高めたというケースがあります。米国人は、日本人のように過去のことにこだわるよりも、未来をよりよくするために気持ちを切り替えることが上手い国民です。トランプ氏が持っているバイタリティ、あるいはビジネスセンスがどのように政治力に活かされるかを注目しているところではないでしょうか。トランプ氏の大統領選勝利を受けて、安倍晋三首相はいち早くトランプ氏と会談の機会を持ちました。<このように先例にとらわれない点は彼の長所でしょう。>トランプ政権が経済、外交面でどのような行動をとるのか未知数の部分が多いのですが、それだけに、あらゆる機会を捉えて万全の対策を打っていく必要があると思います」

-- トランプ新大統領は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)からの脱退を言明していてTPPの発効が困難視されています。こうした中で、TPPの参加12カ国が16年11月に、約1年ぶりとなる首脳会合をペルーで開きました。この首脳会合ではTPPの経済・戦略的重要性が確認されるとともに、協定発効に向けた国内手続きを進めることで一致しました。安倍首相は「世界中で自由貿易が厳しい風を受けている中で、各国がTPPの国内手続きを断固として進めていくことを期待している」と語っていますが、前途は多難ですね。

「19世紀の英国の経済学者デビッド・リカードは、各国がそれぞれ優位性を持つ産品を輸出し、そうでない産品を輸入することで、全体としての経済厚生は高まるという『比較優位の原理』を唱えました。この原理は現代でも有効です。2国間の貿易で、もし1国が自国の弱い産業を保護するために関税障壁を設ければ、相手国も同様に、弱い産業分野の製品の関税を上げるでしょう。その結果、両国間の貿易は全体として縮小して、2つの国の経済はどちらも不利益を被ることになります。

  米国在住の私の友人である経済学者たちに尋ねても、TPPは米国経済にとって大きなメリットがあるという意見が多く、例えば、米国が力を入れている知的所有権の保護も多くの国で強まることになって、トータルで見てTPPは米国に大きな利益を生む協定です。本来、米国では自由貿易に熱心なのはトランプ政権を支える共和党で、国内産業保護の傾向が強いのが民主党でした。その共和党が当初TPPに反対していたのは、TPPを結んだという実績を民主党のオバマ政権に与えたくなかったためだとみられています。したがって、今後内外からの働きかけによってトランプ氏の考えも変わるかもしれませんし、そうなることに期待もしたいと思います」

アベノミクスの「3本の矢」をめぐるメディアのミスリード

-- 濱田先生は、12年12月からスタートした第2次安倍内閣で内閣官房参与に就任され、「アベノミクス」の理論的指導者と言われています。このアベノミクスでは『大胆な金融緩和政策』、『機動的な財政政策』、『民間投資を喚起する成長戦略』という“3本の矢”を柱とする経済政策が打ち出されました。これによって、デフレ脱却、新たな経済成長を目指すというもので、なかでも2%のインフレ目標の設定と日本銀行による“異次元の金融緩和策”が話題になりました。

  さらに、15年9月に安倍首相は「アベノミクスは第2ステージに移る」と宣言し、経済成長の推進力として「一億総活躍社会」の実現を目的とする「強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新3本の矢」を発表しました。

  しかし最近は、大胆な金融緩和政策として打ち出された2%の物価目標の未達や成長戦略に対する批判も出ています。濱田先生は、アベノミクスをどのように評価しておられますか。

「アベノミクスがスタートして4年経ちましたが、初めの2年半は予定通り第1の矢がうまく働いていたと思います。雇用は今でも非常に好調ですし、企業収益も好調ですし、財政収支も好転して来ました。一方で、最近はおっしゃるように2%の物価目標の未達という問題で黒田東彦日銀総裁も苦労されていますし、成長戦略が見えてこないではないかという批判もあります。

  金融政策についてはのちほど詳しく触れるとして、まず指摘しておかなければならないのは、アベノミクスの3本の矢についての議論では、メディアが『金融緩和政策』と『財政政策』の達成目標と『成長戦略』の達成目標の性格が違うということをよく理解せずに報道していることによる混乱があることです」

-- 具体的にはどういうことですか。

浜田 宏一「どういうことかといいますと、『金融緩和政策』と『財政政策』の目的は何かというと、『“現在の”景気を回復させること』にあります。一方の『成長戦略』の目的は『日本の供給能力を増やして“将来の”日本のGDP(国内総生産)成長率の上限を引き上げる』ことにあるのです。現在の景気を回復させることと、将来の日本のGDP成長率の上限(天井)を引き上げることとは実は決定的な違いがあります。

  経済学では『実質GDP成長率』と『潜在成長率』という概念があります。実質GDP成長率は“現在の”“実際の”経済成長率。一方の潜在成長率というのは、国が持っているヒト・モノ・カネを総動員して、フル稼働した場合に達成可能なGDPの上限のことです。実質GDPが潜在GDPの天井に到達していない状態では、的確な金融政策や財政政策を行って総需要(消費と投資)を刺激すれば、その国は短期のうちに実質GDPを増やす、つまり景気を回復させることができるのです。この潜在GDPの天井と実質GDPの差を『GDPギャップ』あるいは『デフレ・ギャップ』といいます。

  つまり、GDPギャップが存在するということは、実質GDPについてはそのギャップ分、増加する余地が残されているということです。この余力がある限りは金融政策、あるいは財政政策の景気引き上げ効果は続くはずだということです。例えば、日本の生産能力に余力がある時には、金融緩和によって市場にマネーを追加投入すれば、余っているヒト・モノを稼働させることが可能になって、日本全体の商品・サービスの供給を増やすことができますし、生産とともに利益も増えていくということになります。言い換えれば、金融緩和によって、実質GDP成長率を潜在成長力の天井まで回復させることが可能だということです。

  実際、アベノミクスの大胆な金融緩和政策によって、日本経済は短期間で急回復を遂げたことは誰もが認めるところですが、その背景にはこうした理論的根拠があったのです。この間には、日本の右肩上がりの成長は終わったというような言説もありました。それは、日本にはもう潜在成長力が残されていないというのと同じですが、現実には経済成長の余地は残されていたということです」

総需要を下支えする金融政策が伴わない構造改革は成功しない

-- 不況の原因は潜在成長力の低下にあるのだから、景気を回復させるためには構造改革が必要であるという主張もありました。

「かつての小泉純一郎内閣の時に構造改革が打ち出されたことがあります。それ自体は大変意欲的な政策であったと思います。しかし、それを行う際に総需要を下支えするための金融政策が伴っていませんでした。日銀の金融引き締め方向に偏った政策をやめさせることができなかったのです。竹中平蔵経済財政政策・郵政民営化担当大臣にはそれがわかっていたと思いますが、小泉首相は当時の日銀の政策を転換できませんでした。

  実際、黒田日銀総裁と岩田規久男副総裁が現職に就く以前の日銀は、インフレ目標を宣言していませんでした。それどころか景気が回復し始めたところで、いきなり金融引き締め政策を実施し、景気を腰折れさせることを何度となく繰り返してきたわけです。そのため、市場全体に日銀の政策に対する疑心暗鬼が広がって、機関投資家は積極的に投資ができず、企業も積極的な設備投資や新規の雇用ができなくなっていました。したがって、銀行にお金(マネタリーベース)があっても、投資や消費、銀行貸し出しに結びつかずにマネーサプライは増えなかったのです。このため、デフレと不況が長く続くことになりました。

  加えて、多くの日本のエコノミストが金融緩和政策で日本の物価は上昇しないということを強調してきたことが、長年、日銀が金融緩和政策を発動することを妨げてきたとも言えます。アベノミクスによって制御不能なインフレが起きると主張した学者も少なくありませんし、金融緩和で日本は破綻するとまで公言した経済学者もいました。

  実際には、アベノミクスの発動によって、個人や企業のデフレ予想は…

 

この記事は、Aコース会員、Bコース会員、EXコース会員限定です

マールオンライン会員の方はログインして下さい。ご登録がまだの方は会員登録して下さい。

バックナンバー

おすすめ記事

アクセスランキング