[編集部から]

2023年3月号 341号

(2023/02/09)

次号予告と編集後記(2023年3月号)

次号予告

2023年4月号
特集:スカイマーク 再上場までの7年9カ月と今後を語る
2023年3月9日 マールオンライン上のリリース 
2023年3月15日 発売予定 
※内容は変更されることがあります。タイトルは仮題です。

編集後記

■信越化学工業の金川千尋(ちひろ)会長が1月1日、肺炎のため96歳で逝去されました。1950年に極東物産(現三井物産)入社後、62年に信越化学工業へ転職。76年に塩化ビニールメーカーの米シンテックを子会社化し、90年シンテック社長を兼務のまま信越化学の社長に就任。その後2010年に会長に就任し、逝去されるまで文字通り陣頭指揮を執ってこられました。
信越化学は、1926年に「信越窒素肥料株式会社」として発足した企業です。その名の通り、もともとは長野県を発祥の地とする肥料メーカーでした。この、地方のメーカーだった同社を、ずば抜けた収益力で、格付け会社ムーディーズから化学メーカーとして世界最高ランクのAa3を取得する世界的な高収益企業にまで育て上げたのが金川氏でした。
その金川氏は、旧制六高生で迎えた敗戦という悲惨な体験とビジネスにかける決意を、自伝『毎日が自分との戦い―私の実践経営論』(日本経済新聞出版社刊)の中でこう記しています。
「敗戦は私にどんな影響を与えたのか。生きる道が定まるのはずっと後だが、戦争に比べればビジネスの世界での競争などは怖くない、という気構えができた気がする。戦地に赴くことはなかったとはいえ、六高の寮で空襲を受け、玄界灘で絶体絶命の状況に追い込まれるなど、生きるか死ぬかの境界線をくぐり抜けてきたのだから。
戦争であまりにひどい負け方をしたから、次は別のかたちで勝ちたい。そんな思いも心のどこかに抱き続けてきた。(中略)また、国に頼ってはいけないと痛感した。経営者になってからも、国の保護がなくては成り立たない事業をしてはいけない、というのが私の一貫した考え方になった。国内であれ、海外であれ、政治家や官僚のコネに頼るような事業も同じだ。そうしたものに頼らず、世界で競争できる事業でなければ投資すべきでないと考えるようになった」
弊誌の2015年1月号の特集インタビューで、経営者としての心構えについて、「100年の大計などと大きなことを言って足元をおろそかにしていては経営なんてできるものではありません。今日、自分の目の前にある課題をまず克服しないと経営はできないのです。そうするには苦労をしないとダメで怠け者ではいけません。理屈はなにもありません。変化の潮目は市況が教えてくれます。だからこそ、他人に任せることなく自ら毎日の動きを注意して見ています」と語っていました。「常在戦場」を座右の銘に、あくなき変革に挑戦し続けた金川氏のご冥福をお祈りします。(耕)

■1901年(明治34年)、報知新聞に「20世紀の豫言 (よげん)」と題する記事が掲載されています。今後起こるであろう23項目が列挙されているのですが、100年経った今その半分以上が実現していて、筆者の先見の明が評価されています。
的中したのは、東京の編集局で欧州の戦況をカラー写真で見られる「遠距離の写真」、電話に相手の姿が見える装置がついた「写真電話」、その写真電話で、遠方にある商品を見て購入できる「買い物便法」など。今や写真を送るだけのファックスは昔の産物で、ウクライナの現状はどこででも動画の視聴が可能ですし、パソコンでリモート会議も当たり前、ネット通販は活況です。ただ豫言では、通販の商品が地下の鉄管を通って一瞬で届くはずなので、この点はハズレです。
的中しなかった項目は、天災が1カ月前に予測され、家屋や道路にそれほど被害を与えなくなる、犬や猫等と自由に会話ができ、「お手伝いさんの仕事」を任せられる、などです。
的中したものは先見の明というより、どれも新聞記者の切実なニーズだったような気がします。だからよくぞ言い当てた、と賞される表現になったのではないでしょうか。外れたものは有史以来の大問題すぎたり、人の負担を動物を使って軽減させるなど昔ながらの発想で、具体性を欠くものばかりです。
夢のような話でも、現実の不便さを解消したいとの強い思いは、望むものの形を明確かつ具体化し、実現のための行動を起こす原動力になると思います。実現された豫言を読み返しながら、夢や目標は具体的な形で描くことが必要だと感じました。(本)

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