[書評]

2010年8月号 190号

(2010/07/15)

BOOK 『インドの鉄人-世界をのみ込んだ最後の買収劇』

ティム・ブーケイ、バイロン・ウジー著。中島美重子、田中健彦訳発行:産経新聞出版、発売:日本工業新聞新社 2,000円(本体)

 ティム・ブーケイ、バイロン・ウジー著。中島美重子、田中健彦訳
発行:産経新聞出版、発売:日本工業新聞新社
2,000円(本体)

 

 

スケールといい、話題性といい、M&Aの世界の歴史の1頁を飾るのは、21世紀初頭に起きたミッタル・スチールによるアルセロールの敵対的買収である。やがて日本を代表する製鉄大手も標的になるといわれ、帰趨が注目されたが、日本では断片的にしか報道されず隔靴掻痒の感があった。著者はミッタルの協力も得て、ドラマの全貌を再現している。

ミッタルは、インドの貧しい一家に生まれた。インドネシアの鉄鋼工場を興し、民営化された各国の製鉄所などを次々に買収し、一代で世界一の鉄鋼帝国を築いた。ロンドンに本社をおき、オランダと米国で上場する。自らもロンドンの大邸宅に住む。アングロサクソン流の市場主義の申し子だ。鉄鋼業は、グローバル化が遅れている。上流の鉄鉱石業界、下流の自動車業界のように再編する必要があるというのが持論で実践してきた。

片やアルセロール。フランス、ルクセンブルク、スペインの国営企業が民営化し、合併して
2002年に発足し、当時、世界一となった。CEOのギー・ドレはフランスのエリート鉄鋼マンで、合併の立役者でもあり、ミッタルから1位奪還に闘志を燃やす。ルクセンブルクに本社を置き、同国が筆頭株主で、経営者、労組、政府が同等の利害関係者となる産業・社会モデルで運営される。こうした国家の宝とも言える企業に突然、異邦人が敵対的買収を仕掛けたのだから関係各国に大きな衝撃が走った。外遊中のルクセンブルク首相は、急遽帰国し、対応に追われる。タクシー運転手は「これは俺たちの会社だ。インド人が乗っ取るなんて許せない」と怒る。市場主義を嫌
うシラク仏大統領も不快感を表明する。
しかし、古い欧州にもグローバル化の波が押し寄せていた。国境を跨ぐ「ユーロ会社」がM&Aで次々に生まれ、EU共通の買収法の制定が求められていた。国際金融界の評判を気にするルクセンブルク政府は、買収を妨害するような法律はつくれない。EUの競争当局も、最終的にこの買収を容認する。ミッタル側の価格引き上げ、株主らの支持などで最後は友好的買収となって一件落着するまでの半年にわたる攻防が手に取るように分かる。

M&Aの視点から興味深いのは、軍師ともいえる脇役たちだ。映画「七人の侍」を髣髴させる魅
力ある多彩なアドバイザーが登場する。今世紀最大の戦いに参画できることに何よりも喜びを感じる人たちだ。ミッタル側の参謀長役はゴールドマン・サックス。地元の有名なPR会社も加わる。「フランスでは雇用の安定が何より大切。あなたは侵略者でないこと、雇用に慎重に対処することを説明する必要がある」と機微にふれた忠告をする。片やアルセロールにはモルガン・スタン
レー、スキャデン・アープスなどがつく。防衛策づくりに知恵を絞り、ホワイトナイト探しが行われる。日本の製鉄会社もその候補だった。最終的にロシアの新興鉄鋼会社との間で統合契約が結ばれるが、これが逆に株主の反発を呼び、墓穴を掘る結果となった。現代の「城攻め」の成否にアドバイザーが大きな影響を与えていることが分かるが、やはり最後の勝敗の分かれ目は、トップの人間的要素だったと思う。ミッタルの最大の資質は粘り強さと忍耐力だ。負けそうになった場面で文句もいわず、落胆、困難、苦しみを受け入れる人間として描かれている。一方、ドレは、相手に侮辱的な発言をぶつけるなど肝心な場面で忍耐と配慮ある沈黙に欠ける人物だった。

日本でもいずれ中国、インド企業が敵対的買収をかけてくるかもしれない。企業、政府、国民
がどう対応すべきか。そうした問題を考える上での手がかりを与えてくれる。(青)

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