1. はじめに MARRの調査によると、日本企業が買手または売手となった2021年・2022年のM&A件数(
IN-IN、
IN-OUT、
OUT-IN合計)はともに約4300件(注1)であり、2年連続で過去最多を更新した。今後も多くの日本企業が買手として、あるいは売手としてM&Aを経験することが予想される。
人事領域の
デューデリジェンス(以下、人事DD)は、かつては財務・ビジネス・法務といった領域に比して実施機会が少なかったが、「人」や「人事制度」等に関してディール後のバリューアップや統合のために対応すべきことが数多くあることと、それらを事前に把握し早期に着手することの必要性が認識されるようになり、近年は実施機会が増えている。
本稿では、人事DDがM&Aにおいてどのような重要性をもつのかを、代表的な調査事項とあわせて解説する。
2.人事DDの目的 人事DDの目的は、M&Aの実行に関して適切な判断・意思決定を行うために、対象企業・事業の「人」や「人事制度」に関わる財務インパクトやリスク、潜在的な価値、ディール後に取り組む必要がある課題などを洗い出すことである。
財務インパクトやリスクの代表的なものは、経営者やキー人材の離職、確定給付型年金制度の債務、株式報酬をはじめとする長期インセンティブの存在、
カーブアウト案件の場合に生じる人事機能の不足(喪失)などである。これらの財務インパクトやリスクを正確に把握せずにディールを進めると、ディール後に対象企業・事業の事業運営が立ち行かなくなったり、買手(グループ)が想定以上の債務を負うことになったりと、ディールの目的の実現を妨げることになる。人事DDにて現状を調査し、対応の方向性を定めた上で、買収価格や契約に反映しておかなければならない。
また、ディール後の取り組み課題に、対応の如何がディールの対象となる従業員の心情に直接的な影響を与えるものが含まれることが人事DDの特徴でもある。代表的なものが、ディール後の新会社の経営戦略に合致した人員配置への変更や人事制度への改定である。自身が所属する企業・事業がM&Aの対象となった時、ディール後に自身の業務や役職・賃金・福利厚生にどのような変化があるかは、当然ながら個人にとって重大な関心事であり、企業・事業の将来像に対する関心をも上回り得ることは想像に難くない。ディールに関する情報を得にくい従業員の中には強い不安を抱く者もいるだろう。買手は、人員配置や人事制度に関する方針(安心やモチベーション維持に配慮されたもの)を新体制における企業・事業の将来像とともに適切なタイミングで従業員に説明できるよう早い時期から準備を整える必要がある。
ディール後の事業を運営するのはディール前から対象企業・事業に携わっている従業員が中心となる。大量の離職によって既存の従業員がいなくなっては事業運営が成り立たず、会社への信頼やモチベーションが損なわれてはディールに求めるシナジー創出は実現されない。ディール後のシナジー創出を「人」の面から支えられるよう、ディール実行前に人事領域の課題を把握し、対応方針・対応策の準備に着手することが人事DDの重要な目的の一つであるとも言える。
3.人事DDの調査事項
■筆者プロフィール■
野崎 有里子(のざき・ゆりこ)
シニアマネージャー PwCアドバイザリー合同会社
銀行系シンクタンク、会計事務所系コンサルティング会社、教育機関、米系人事コンサルティング会社等を経て現職。日系企業・外資系企業の幅広い業種・規模のクライアント企業に対して組織・人材マネジメント領域において幅広いテーマの支援に従事。M&A・事業再生における組織・人事コンサルティングでは、HRデューデリジェンス、労働条件(基幹人事制度、就業条件等)の統合・改定、従業員コミュニケーション等の支援経験を有する。