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(2024/01/11)

地政学リスクの高まりと日本企業のM&A

和田 大樹(国際政治学者、Strategic Intelligence 代表取締役社長CEO)
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近年、企業では地政学リスクにどう対処するかが喫緊の課題となっている。2024年は台湾で総統選挙が行われ、その行方は中台関係の今後の4年間を大きく左右する。また、2023年は先端半導体の覇権競争の影響で、中国の貿易上の対日不満も強まり、今後、日中間では経済・貿易上の問題が先鋭化する。台湾や中国に進出している企業は政治的な動向を日常的に把握し、リスクの最小化に務める必要がある。
当面の注目点は台湾総統選挙

 2024年が始まり、M&Aを計画、強化する企業を取り巻く世界情勢はどのように動いていくのだろうか。「地政学リスク」といっても多くの問題があるが、グローバルに展開する企業への影響という視点から、ここでは2つのトピックに焦点を当てたい。

 まず、1月13日には、台湾で次の指導者を選ぶ総統選挙が行われる。現在のところ、自由や民主主義を掲げ、欧米諸国との関係を重視する民進党の蔡英文総統の後継者が選挙戦をリードし、中国との関係を重視する国民党の候補者が追い上げる状況となっているが、この総統選挙の結果によって今後4年間の中台関係は大きく変わる可能性がある。仮に、国民党の候補者が勝利すれば、蔡英文政権下で冷え込んだ中台関係は改善され、中国の台湾への圧力が低下し、中国軍による軍事的威嚇や経済的威圧が緩和されるだろう。

 反対に、現政権の後継者が勝利すれば、これまでの冷え込んだ中台関係が続くことになる。2022年8月、当時のペロシ米下院議長が台湾を訪問した際、中国軍は台湾を包囲するように大規模な軍事演習を行い、大陸側からは複数の弾道ミサイルが発射され、これまでになく台湾を取り巻く軍事的緊張が高まった。また、中国は台湾産のパイナップルや柑橘類、高級魚ハタなどを突如一方的に輸入停止にするなど、経済的威圧を仕掛けることで台湾を揺さぶった。民進党政権が継続することになれば、今後も同様の圧力が台湾へ掛けられることになろう。

33%の企業が台湾有事の影響を強く認識

 一方、近年は台湾有事を巡って企業の間でも懸念が広がっている。現在のところ、安全保障専門家の間では、中国軍は台湾侵攻を円滑に実行できる段階ではないとの見方が有力で、習政権としても軍事作戦の失敗は共産党体制を大きく失墜させることから、台湾有事が短期的に起こるリスクは低い。1月の選挙で民進党政権が続くことになっても、それによって有事発生のリスクが一気に高まるわけではないだろう。

 筆者は長年、グローバルにビジネスを展開する企業向けに地政学リスクの観点からコンサルティング業務を行っているが、最近は上述のような事情から企業から多くの相談を受ける。企業によって悩みはまちまちだが、M&Aという視点から言えば、台湾企業との連携強化を視野に入れている企業の間では、「今後台湾事業を強化したいが台湾有事が発生するリスクが懸念される」、「仮に中国が望む形で統一となれば、香港のようにビジネス環境が大きく変わる可能性があり、中長期視点で台湾事業を強化するべきか判断に悩む」といった声が聞かれる。また、既に台湾に深く進出している企業からは、「既に台湾事業を展開しているが、有事のリスクを想定した場合、どのタイミングになったら駐在員を退避させるべきか」といった声が多く聞かれる。

 ちなみに、台湾に進出する米国企業の間でも同様の懸念が広がっているようだ。例えば、2023年2月、台湾米国商工会議所が発表した調査結果(2022年11月15日から16日にかけて実施)によると、緊張が高まる台湾情勢によってビジネスに著しい支障が出ていると回答した企業が33%に達し、2022年8月に行われた同調査の17%からほぼ倍増した。また、このリスクに対応するため事業継続計画を修正した、または修正予定と回答した企業は全体の47%に達した。

 こういった企業の悩みを受ける側としては、絶対的な答えはないが、専門的な知見やノウハウを提供することで企業のリスク最小化に努めたいと考えている。有事を巡る懸念や退避のタイミングについて、筆者は多くの企業に対して、現時点ですぐに発生するわけではないが、習政権が台湾統一という目標を放棄することはあり得ず、中長期的リスクとして認識する必要性を訴えている。そして、台湾にはシェルターなど十分に退避インフラが整備されてはいるが、台湾は海に囲まれウクライナのように隣国への避難は不可能なので、緊張が高まった際には一刻も早く民間航空機で退避できる危機管理体制を社内で構築しておくべきだと提言している。実際、2022年8月の中国軍による大規模軍事演習の際、大韓航空は8月5日と6日、仁川国際空港と台北を結ぶフライトを突如欠航し、アシアナ航空も5日の台湾との直行便を取りやめた。香港のキャセイパシフィック航空も8月4日、台湾情勢が悪化すれば一部のフライトは迂回や欠航など影響が及ぶ恐れがあると指摘するなど、台湾からの唯一の安全な退避手段は緊張が高まればすぐにストップする恐れがある。

 現時点で「脱台湾」を行動に移し始めている企業は筆者周辺ではないが、こういった地政学リスクの高まりから、台湾事業の今後を中長期的視点でレビューし、有事の際の危機管理体制の強化を進める動きは企業の中で拡大している。2024年もこういった流れが企業の間でいっそう広がることになるだろう。

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■筆者プロフィール■

和田 大樹(わだ・だいじゅ)

和田 大樹(わだ・だいじゅ)
国際政治学者。Strategic Intelligence代表取締役社長CEO。一般社団法人 日本カウンターインテリジェンス協会理事。清和大学非常勤講師などを兼務。国際安全保障論、国際テロリズム論などを専門とし、実務家として海外進出企業への地政学・経済安全保障コンサルティングに従事。テロ対策分野ではこれまでに警察庁や防衛省、内閣情報調査室などへ助言、講演などを行う。
https://researchmap.jp/daiju0415

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