[書評]
2016年9月号 263号
(2016/08/15)
1.本書の概要
日本企業による海外企業の買収には失敗例が多い。本書は、その標題どおり、海外M&Aの失敗の原因を統計的に明らかにしようとするものである。もっとも、本書は日本企業叩きを主眼とするものではなく、むしろ良いM&Aを啓蒙し、推進する内容となっている。本書は2015年のM&Aフォーラム賞(正賞)を受賞しているが、受賞にふさわしい内容である。
買収から10年以上を経た大型案件(100億円以上)116件のうち、買収企業がすでに破たんしたものが7件あり、その他の109件のうち44件は買収事業からすでに撤退・売却している。この51件の「失敗案件」に投入された金額は2兆8000億円にのぼる、と著者は言う。なお、買収事業の売却時に売却益を計上している案件は「失敗でも成功でもない」と分類されている。
失敗案件を除く65件のうち、「所在地/海外セグメント」と「事業セグメント」の両方の営業利益について、買収時から4年目以降の「最高益更新率」が50%以上であるという事例(すなわち2年に1回以上のペースで最高益を更新している買収事例)は、わずか9件である。これが著者の定義する「成功」事例である。
それでは、失敗事例と成功事例を分けた要因は何であろうか。考えられるいくつかの要因のうち、実際に海外M&Aの成否に関連が認められるものは、①買収時に買収会社が対象会社に対して規模で勝っていたこと、②買収時の社長が買収から10年以上の長期にわたって経営を執行していること、③対象事業領域・地域で追加買収を実行していること、の3要因である。この3つの条件をすべて満たしている案件は、失敗事例51件には存在しない。これに対して、成功事例の多くはこの3つの条件を満たしている(113頁)。
このように、本書は海外M&Aの成功・失敗を定量的に判定した上で、その要因についても統計に基づいた分析を示している。これは、ケース・スタディーからの推論がしばしば主観的になりやすいことに対して、客観的な視座を確保するものと言えよう。他方で、本書では失敗事例8件、成功事例8件が比較的詳細に紹介されており、企業関係者がイメージを持ちながら本書を読み進めることができるように工夫されている。なお、成功事例9件の中には現セブン&アイによるものが2件あるが、そのうちサウスランド本体の買収事例が詳細に紹介されている(ハワイ7-Elevenの買収事例は紹介されていないため、紹介事例が8件となっている)。
2.コメント
本書は、M&Aバンカーを本業とする著者が、神戸大学大学院経営学研究科で執筆した研究論文を、一般読者向けに書き直したものである。他方、評者(大杉)は会社法・金商法を専門とする法学研究者であり、企業経営に強い関心を持つものの、経営学については素人であり、本書の学問的な価値については評価する能力を持たない。
それにもかかわらず、本書の分析手法と、その分析結果が発しているメッセージに、評者は一読して強く惹かれた。買収先が国内企業か海外企業かを問わず、大型の企業買収は、わが国では経営者の勲章と見られがちである。経済メディアには、M&Aで時間を買うとか、円高期は海外M&Aのチャンスである等の甘い言葉が溢れている。本書はこのような風潮や俗説を斥けるものである。本書の分析は、M&Aは手段に過ぎず、良いM&Aを完遂するための必要条件が、企業の長期的な戦略であり、それを構想し実行する在任期間の長い経営者であることを示している。
もっとも、本書の分析は過去のものかもしれない。本書が買収から10年以上を経た大型案件を分析対象としていることから、日本企業の直近の姿とは乖離している可能性がある。しかし、仮にそうであっても、日本企業の多くが過去に大型買収に成功しなかったという事実は、今後のM&Aの成功に向けて何度も顧みられるべきである。本書は海外M&Aのノウハウを伝授する実用書ではないが、国内外でM&Aに取り組もうとしている企業がその基礎体力を向上させるための良いテキストであるといってよいだろう。
本書の終わり近くでは、日本企業がお手本とする上で現実的な例として、米国のIBMによるM&Aが取り上げられている。同社CEOを10年間務めたサミュエル・パルミサーノ氏が、在任中に常に自問した5つの問い(183頁)は、示唆に富む。なお、戦略を実現するM&Aのためのより具体的なノウハウを包括的に提供する良書として、四方藤治『企業内プロフェッショナルのためのM&Aの技術』(中央経済社、2013年)がある。本書と併読することをお勧めしたい。
日本企業が利益率の長期低迷から脱して、「稼ぐ力」を取り戻すことが喫緊の課題となっている今日、一人でも多くの読者が本書を手に取ってほしいと願う。
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