[Webインタビュー]

(2019/10/04)

<WEB特別座談会>100個の新産業共創を目指す「新産業共創スタジオ(Industry-up Studio)」が本格始動!

―― レノボ・ジャパン元社長 留目真伸氏が一般社団法人Japan Innovation Networkと共同で進めるイノベーション国家構想

【出席者】(五十音順)
紺野 登(一般社団法人Japan Innovation Network Chairperson 理事)
住友 滋(SUNDRED株式会社 取締役 / パートナー。株式会社コンセラクス 代表取締役、キュレーションズ株式会社 取締役会長)
留目 真伸(SUNDRED株式会社 代表取締役 / パートナー。株式会社HIZZLE 代表取締役)
西口 尚宏 (一般社団法人Japan Innovation Network 代表理事)
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新産業のモデルを構想・共創・実装する

―― レノボ・ジャパンやNECパーソナルコンピュータの社長を務めてこられた留目さんが、2019年7月「SUNDRED株式会社」*1の代表に就任されたということで注目されています。SUNDREDは、「共創により100個の新産業を生み出す」ことを目標に掲げ、一般社団法人Japan Innovation Networkと共同で「新産業共創スタジオ」という取り組みをスタートさせました。さらに、19年10月から、広く一般から新産業共創のアイデアやパートナーを公募するプログラムもスタートされましたので、これを機に、新産業共創スタジオのキーパーソンの皆様にお集まりいただき、新産業共創スタジオ立ち上げの経緯、狙いについてお話しいただきたいと思います。

 お集まりいただいた皆様の略歴と新産業共創スタジオの取り組みからお聞かせください。

*1 2017年3月設立。「新産業共創スタジオ」は2019年7月1日より正式稼働。

留目 「私は、新卒で総合商社に就職しました。大きな仕事をしたいという思いから、発電プラントを海外でつくるというところから社会人生活をスタートしています。しかし、その後、徐々に自分の中で“大きな仕事”の意味合いが変わってきまして、経営の意思決定に参画したいということで、戦略コンサルタントになる道を選び、中途入社したのが、モニター・グループです。同社は米国を拠点にグローバルで実績を上げ続けている戦略ブティック・ファームで、そこで業種にかかわりなく、次々と多様なインダストリーの競争環境を分析し、経営戦略の策定に携わったことは、非常に勉強になりました。ただし、その役割はあくまでもサポートをすることで、意思決定の主体にはならない。それならば事業会社に行くべきだと決心して転職したのがデルでした。2000年代初頭のデルは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していました。その原動力の1つがデル・モデルと呼ばれていたダイレクト・ビジネスの手法です。そこでマーケティング分野を統括する立場に就けたことで、私自身大いに成長できたと思っています。とりわけ当時の社長である浜田宏さんや、多くのゼネラル・マネージャーに、マーケティング担当の枠を超えて、彼らの右腕となって経営を考えていくようなこともやらせてもらいました。

 一方、マーケティング等の一機能を担うだけでなく、事業全体にオーナーシップを持てる仕事をしていきたいと強く思い始めたのもこの頃で、当時M&Aを積極的に行っていたファーストリテイリングで買収先企業の経営を支援する立場に就いたのですが、デル時代の上司や同僚にレノボ・グループに引っ張られ、日本法人の戦略やオペレーション、マーケティングなど、スタッフ系の業務全般を統括する立場で再びPC業界で仕事をすることになったのです。06年当時のレノボは重要な転換期にありまして、04年の暮れにIBMのPC事業部門の吸収合併を発表したことで、『レノボ』の名前は世界中に知られるようになりましたが、IBMやThinkPadのブランド価値は非常に高いけれども、レノボとして新たにブランドを作っていかなければならない。また、IBMから買収したPC事業を大至急ターンアラウンドし、新たな成長軌道に乗せていかなければなりませんでした。レノボでの最初の数年間で、私が担ったのは事業の効率化と抜本的な建て直しでした。苦しいリストラも行いました。3年が経過する頃には成長の機会が見えてきました。そして一層成長を加速させていくため、私自身の役割も事業部門の統括に変わり、戦略の立案から日々の営業活動までをリードすることになりました。ようやく、ゼネラル・マネージャーとして、ビジネスのオーナーシップを持つことになったわけです。

 そうして順調にビジネスを成長させてきた矢先の11年、レノボとNECがPC事業を統合するということが起きました。ThinkPadを通じた日本の『ものづくり』の復権に人一倍モチベーションをかき立てられていた私は、統合プロジェクトのリーダーを買って出ました。その後米国に行ってグローバルM&Aチームとインテグレーションのチームを持たせてもらったりもしたのですが、その後日本で社長やれということで戻されまして、そこからは実はPC事業よりもむしろ新規事業をやらないとビジネスを伸ばせないということで、タブレットとかVR・AR、アプリのビジネスもトライしましたし、IoTのAPIのプラットフォームを作ったり、スマートシティとかスマートホーム向けの事業をやったりしました。いくつか象徴的なプロジェクトで実績を上げることはできたものの、大きな組織の中で新規事業のチームを作り、かつスケールさせていくのはなかなか難しいなと思い始めたのもその頃です。同時に、新規事業をやっていく中でスタートアップとのつながりもかなり出てきて、同社では副業もオーケーということにしていましたので、自分自身もエンジェル投資を行う会社を作って、副業でスタートアップの経営支援をやり始めました。

 応援したいと思うスタートアップに投資したりサポートしたりし始めたのですが、結果的に大企業とのお付き合いがスタートアップ側からしてみるとなかなかうまくいかなくて、スケールしない。日本の中では、大企業も新規事業をなかなか作れていないし、スタートアップも新しい産業を作るほどの大きなうねりは作り出せていないという現実を見て、日本では産業を産み出すビークルが機能していないのではないかと思い始めたのです。この間、資生堂に入って化粧品業界での新規事業やスタートアップの状況を見たりしたのですが、やはり同じことが言えて、そうなると自分で新しい産業をつくる仕組みづくりにフォーカスしてみてはどうだろうと考えるようになったのです。大企業の経営の経験もあり、かつスタートアップ側のビジネス経験がある人はそんなにいませんから、その使命が自分にはあるのではないかと考えて、今のプロジェクトに携わるようになったのです。

 SUNDREDという会社自体は実は17年3月にここにおられる住友さんと、もう1人金子さんという方によって設立されていまして、私がジョインして、実現すべき“明るい”未来に向けて、”100個の新産業” を共創するために新産業のモデルを構想・共創・実装する事を企図するというように建付けを変えて、『新産業共創スタジオ』という形にしたのが19年7月です」

映画作りのように産業創りにチャレンジ

―― SUNDRED(サンドレッド)という社名の由来は?

留目 「『SUN(太陽)+HUNDRED(100個)』の造語です」

―― スタジオというネーミングも新鮮ですね。

留目 「スタジオというのは、映画スタジオをイメージして名付けました。映画作りのように産業創りにチャレンジしようというコンセプトです。まずテーマ、フォーカスする成長領域を決めてスクリプトを創る。産業としてスケールするためにどのようなエコシステムを構築すべきか、そのデザインを描く。次にプロデューサーや映画監督(プロジェクト・マネージャー)をはじめ、必要な役者(パートナー企業)や人材を集める。一方で、その成長領域を一緒にやってくださるスポンサーを募って、エコシステムの中核となる事業体に人やお金、リソースを集中して成長を支援していきます。必要に応じてさまざまなパートナー企業や人に参加してもらって産業を創り、発展させていくプロセスはまさに映画作りに近いと思っていて、SUNDREDではその最初のテーマ設定やエコシステムのデザインといったところから、全体のプロジェクト・マネジメントができればと考えています」







インキュベーションとの違い

―― いわゆるインキュベーションとは違うのですか。

留目
 「単にスタートアップの事業を応援するとか、スタートアップと大企業をマッチングするといったこれまでのようなやり方では、事業として成功しても新しい産業としてスケールするところまでいきません。その根本原因は、リソースやナレッジの集約が進まないことにあると思っています。

 GDPの総額と成長率の推移を他の主要国と比較すると、過去30年日本が経済を成長させていくということについて機能不全に陥っていることがわかります。理由については色々考察されていますが、私たちは成長領域・重点領域へのリソースの集約そのものが機能していないと考えています。米国等の人材の流動性の高い国では新たな産業になりうる成長領域にスタートアップが興ると資金に加えて関連領域の既存企業から当該領域における経験・知識を備えた人材もスタートアップに移動し、成長領域対してベストなリソースを短期間に集約することが可能になっています。これをエンジェル、VC、インキュベータ、アクセラレータ等が効果的にサポートしていくことによって、新産業が生まれています。

 一方、日本では成長領域にスタートアップが興ったとしても当該領域における経験・知識を持つ既存企業の人材がスタートアップに移動してこないため、スタートアップが活発に活動できる領域が限定的です。既存の各企業の新規事業担当者やR&D担当者は限られた少ない予算でそれぞれ個別に何等かの取り組みを行っており、リソースの集約が圧倒的に不十分です。スタートアップと大企業のマッチングなどの動きはあるものの、個社の限定的な予算とスコープの範囲内の取り組みになってしまいバリューチェーンを再構築する新産業を創造するまでには至っていないと思います。このような日本の環境では、スタートアップを効果的に支援していけば、もしくは大企業とマッチングだけ行えば新産業が創出されていくだろうというのは安直な考えだと思います。流動性の低い大企業の人材・アセットをどのように同じ船に乗せ、スタートアップの活力やリスクマネー等も活用した上で、一つの成長していく事業体を作り上げ、成長領域に漕ぎ出していくのか、実例を通じて各種のひな型を取りそろえ、認識を共有していく必要があるのです。

 複数社・複数業界にまたがる複雑なエコシステムを協創会(協議会)でデザインし、事業体を設立していく『協創会(協議会)モデル』、1社のケイパビリティ、予算とスコープだけではスケールしない新規事業をカーブアウトで外部化し事業体としていく『カーブアウトモデル』、その逆で既存企業の事業領域を加えることで大きな成長が期待できるスタートアップに当該企業の人材を交えて成長可能な形にしていく『スケールアウトモデル』等、複数の既存企業・スタートアップおよび外部人材が1つの船に乗っていくためのやり方としていくつかの類型が考えられますが、SUNDREDでは、『新産業共創スタジオ』を通じて各類型(仮説)を検証し、日本流の新産業創出の仕組みを創り上げて行きたいと考えています」

金子コード社のオープンイノベーション戦略としてスタート

―― 住友さんは、17年3月にSUNDREDを立ち上げられたのですが、どういう経緯だったのですか。略歴と合わせて教えてください。

住友 「私は、20年弱ソニーで働いていました。ちょうどiPodとiTunesなどの新しいビジネスモデルが出てくる時代に、ソニー内にブロードバンド時代の“New SONY”を作ろうという動きがありまして、私もその戦略部門のメンバーになっていました。結論から言うと実現できなかった訳ですが、残念ながら顧客目線が足りていなかったというのが一番の反省点です。ソニー・ミュージック、ソニー・ピクチャーなどのコンテンツビジネスがあり、So-netというインターネットサービスがあり、そして最強の顧客接点としての魅力的なハードウエアがある。来たるインターネット・ブロードバンドの時代に、こうしたコンテンツ、ネットワー...

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