一. はじめに
1.背景・問題意識
(1) 問題意識
経営環境が急激に変化する中、企業がイノベーションによる付加価値の創出や生産性向上を通じた持続的な成長を実現していくためには、経営資源をコア事業の強化や将来の成長事業への投資に集中させることが必要となる。このような成長事業・新規事業への円滑な経営資源の移行を進めるべく、事業ポートフォリオの見直しと必要な事業再編の実行が急務となっている。
しかしながら、日本企業において事業ポートフォリオ検討の必要性について認識が高まりつつあるものの、合併・買収(M&A)と比較すると、事業の切出しに対しては消極的な企業も多く、必ずしも十分に行われていない状況となっている(図表1)。
こうした現状を踏まえ、「新たな成長戦略実行計画策定に関する中間報告」(令和元年12月19日未来投資会議)において、次期成長戦略に向けた課題として、「
企業価値向上のための
スピンオフを含めた事業再編を促進するため、取締役会の監督機能の強化等の在り方について指針をとりまとめる。」との方向性が提示され、本年7月17日に閣議決定された「成長戦略実行計画」には「スピンオフを含む事業再編を促進するための実務指針を策定し、企業に対応を促す」旨が盛り込まれた。
このような問題意識を背景に、経済産業省は本年1月より事業再編研究会(座長:神田秀樹 学習院大学大学院法務研究科教授)(以下、「本研究会」という)を設置し、同年1月から5月末まで合計6回にわたり、事業再編を進めるための取組みについて検討を行ってきた(図表2)。本稿で解説を行う「事業再編実務指針」(以下「本ガイドライン」という)は、本研究会の議論の成果をまとめたものである。
[図表2:事業再編研究会の委員等名簿]
事業再編研究会 委員等名簿 (50音順 敬称略 2020年7月31日時点) |
座 長 : | 神田 秀樹 | 学習院大学大学院法務研究科 教授 |
青 克美 | 株式会社東京証券取引所 執行役員 |
石綿 学 | 森・濱田松本法律事務所 弁護士 |
井上 光太郎 | 東京工業大学工学院経営工学系 教授 |
牛島 辰男 | 慶應義塾大学商学部 教授 |
江良 明嗣 | ブラックロック・ジャパン株式会社 運用部門 インベストメント・スチュワードシップ部長 |
大湾 秀雄 | 早稲田大学政治経済学術院 教授 |
翁 百合 | 株式会社日本総合研究所 理事長 |
加来 一郎 | 株式会社ボストン コンサルティング グループ マネージング・ディレクター&シニア・パートナー |
片山 栄一 | パナソニック株式会社 常務執行役員 CSO |
加藤 貴仁 | 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 |
河村 芳彦 | 株式会社日立製作所 代表執行役 執行役専務 CFO兼財務統括本部長 |
神作 裕之 | 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 |
小林 喜光 | 株式会社三菱ケミカルホールディングス 取締役会長 |
三瓶 裕喜 | フィデリティ投信株式会社 ヘッド・オブ・エンゲージメント |
武井 一浩 | 西村あさひ法律事務所 弁護士 |
田中 亘 | 東京大学社会科学研究所 教授 |
田村 俊夫 | 一橋大学経営管理研究科 教授 |
佃 秀昭 | 株式会社企業統治推進機構 代表取締役社長 |
冨山 和彦 | 株式会社経営共創基盤 代表取締役CEO |
日戸 興史 | オムロン株式会社 取締役 執行役員専務 CFO 兼 グローバル戦略本部長 |
濵田 昌宏 | SOMPOホールディングス株式会社 グループCFO 兼 グループCSO 兼 グループCIO 執行役常務 |
林 竜也 | ユニゾン・キャピタル株式会社 代表取締役パートナー |
別所 賢作 | 三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社 投資銀行本部 マネージングディレクター M&Aアドバイザリー・グループ統括責任者 |
松田 千恵子 | 東京都立大学経済経営学部経営学研究科 教授 |
柳川 範之 | 東京大学大学院経済学研究科 教授 |
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(オブザーバー) |
| 井上 俊剛 | 金融庁 企画市場局 参事官 |
| 竹林 俊憲 | 法務省 大臣官房参事官 |
(2) 新型コロナウイルス感染症との関係
本研究会では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に広がる中、今この時期に事業再編について考えることの意義に関して、今後も新型コロナショックと同規模の経済的ショックが発生する可能性がある中、企業価値の向上や持続的な成長を確保するためには、競争優位を築くための成長・新規分野への投資を行う必要があり、リスクに耐え得る収益力を高めるための事業ポートフォリオの継続的な検討が重要であるとの意見が出された。また、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて多角化の意義を見直す論調に対しても、これはシナジー創出を通じた成長戦略が描けないような多角化を正当化するものではなく、有事にも対応できる収益性の高い事業を生み出すべく、事業ポートフォリオの戦略的な検討が重要であるなどの意見が示された。
このような議論を受け、「こうした『有事』において、対症療法に終始するか、中長期的な視点から、このようなグローバル規模のショックに耐え得る強靱な企業体となるための事業ポートフォリオの組替えを含めた構造改革まで踏み込んでいけるかが、その後の成否を分けるということは、歴史の教訓」であり、このような時期においてこそ、企業の構造改革に向けた姿勢が問われているとしている。
2.ガイドラインの位置づけ
本ガイドラインは、経済産業省「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針(注1)」(2019年6月28日策定)(以下、「グループガイドライン」という)の「3 事業ポートフォリオマネジメントの在り方」を前提に、特に事業再編に焦点をあて、具体的な方策やベストプラクティスを深掘りしたものである。また、
コーポレートガバナンス・コード(以下「コード」という)との関係については、コードとの整合性を維持しつつ、会社の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上に資する形でコーポレートガバナンスを実践するためにこれを補完するものと位置づけている。
3.本ガイドラインの概要
(1) 目的
本ガイドラインは、持続的な成長に向けた事業再編を促進するため、経営陣、取締役会・社外取締役、投資家といった3つのレイヤーを通じて、コーポレートガバナンスを有効に機能させるための具体的な方策を整理するとともに、事業の切出しを円滑に実行するための実務上の工夫について、ベストプラクティスとして示したものである。
(2) 対象
本ガイドラインは、上場企業の中でも「多様な事業分野への展開を進め、多数の子会社を保有してグループ経営を行う大規模・多角化企業」で、なかでも特に「市場や資金調達の面でグローバル化を図り、グローバル競争の中で持続的な成長を目指す企業」を主な対象としている。
また本研究会では、収益性の高い事業であっても、自社の下で成長戦略の実現が難しい場合には、早期に切り出すことで持続的な成長の実現を図ることが重要であるとの考え方を明確にしている点に特徴がある。事業ポートフォリオの見直しにおいては、企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を実現する観点から、検討対象に聖域を設けることなく、常に将来志向で、自社がベストオーナーかどうかという観点から柔軟かつ大胆に取り組むことが重要である。
(3) 本ガイドラインの構成
本ガイドラインは、全5章で構成されており、第2章が経営陣、第3章が取締役会・社外取締役、第4章が投資家とそれぞれのレイヤーごとに、コーポレートガバナンスを有効に機能させるための具体的な対応策を整理しており、第5章では事業の切出しを円滑に実行するための実務上の工夫についてまとめている。その他、本稿では解説を省略するものの、本研究会では、事業再編の促進に関して、実務指針での対応にとどまらない様々な課題についても議論が行われたため、それらについては、本研究会の報告書における「今後の検討課題」として整理・公表している。
二. 経営陣における課題と対応の方向性
1.経営者の役割
経営者の第一の使命は、企業の持続的な成長を実現する観点から、経営資源の最適配分(投資)を行うこと、そのために事業ポートフォリオの最適化を図りつつ、事業部門を超えるシナジーの創出を図ることである。
(1) 現状と課題
社長・CEO向けのアンケート結果(注2)では、事業売却・撤退等を検討・実施する際の課題として、「事業の売却等の基準や検討プロセスが明確でない」といった仕組みに関する課題に加え、「自社グループ内では将来の成長が見込めないとしても、対象事業が赤字でない限り、売上げには貢献しているため(事業売却等を)決断しにくい」といった意識面の課題が挙げられている(図表3)。