[書評]

2012年6月号 212号

(2012/05/15)

今月の一冊 『タイトヨタの経営史  海外子会社の自立と途上国産業の自立』

川邊 信雄 著 有斐閣/3200円(本体)

今月の一冊 『タイトヨタの経営史 海外子会社の自立と途上国産業の自立』 川邊信雄 著 有斐閣/3200円(本体)東南アジアで、自動車大国となったタイ。その原動力となったのが日本の自動車メーカーであり、中でもトヨタである。現地法人のタイトヨタの発展を中心に、タイ政府の自動車振興政策や世界経済の変化なども織り込みながら、海外子会社と途上国産業の自立への道程が描かれている。日本企業のグローバル化が課題になっているが、お手本となる企業と産業が日本にあることが分かる。
トヨタが営業所、支店を経てトヨタタイを設立したのはちょうど50年前の1962年のことである。現地のサイアム・セメントも一部出資をした。輸出→販売会社設立→輸入完成車への高関税→組立工場での生産→輸入部品への高関税と国産部品調達義務→現地部品メーカーの育成と母国(日本)部品メーカーの進出→自立の道をたどる。今では、製造のみならず、設計、研究、開発、部品調達、販売、輸出までを独自に行う能力を身につけた。トヨタのIMV(国際戦略車)を生産し、アジア、中近東、中南米などへ輸出、東南アジアを代表する輸出企業の地位を得ている。ここに至るまでの進化の過程が、詳細な新聞記事、社史、関係者のインタビューなどを通じ実証的に示されている。
トヨタが得意とするカイゼンなどのモノづくりの技術移転と並んで、経営の現地化がどのように進められるかも説明されている。グローバル化を目指す日本企業にも役に立つ。タイトヨタは人づくり、人事、教育制度の確立、組織づくりに熱心に取り組んだ。その結果、同社の取締役は当初、全員が日本人だったのが、今では3分の1以上をタイ人が占めるまでになった。日本人とタイ人のポストの割り振りや役割分担なども興味深い。
この50年の間に2つの大きな経済環境の変化があった。一つは1985年のプラザ合意による円高だ。日本車が価格競争力を失い、自動車産業に海外戦略の変革を迫る。タイを輸出向けの生産拠点とするグローバル戦略を、トヨタは本格化させる。アジア市場に適した低価格車のアジアカー開発だ。
しかし、97年の発売開始直後に、今度はアジア通貨危機が襲う。アセアン各国の自動車産業は大きなダメージを受けた。タイ政府は自動車生産を回復するため、バーツ安を武器に自動車の輸出振興策をとる。日系自動車メーカーも呼応し、最大の課題であった品質向上に取り組み、タイの自動車産業は先進国並みの品質を確保するまでになる。そして今やエコカー開発の段階に入っている。
タイに自動車産業が形成され、アセアン各国に裾野が広がり、相互に有機的な関連も深まっている。司令塔の地域統括会社も置かれるようになっている。東南アジアの自動車産業の発展は、日本の自動車メーカーがタネをまき、長い年月をかけての技術移転によりもたらされたものなのだ。日本の自動車産業がこの地域の経済発展に貢献していることが分かる。
著者は、本書の分析を通じて、多国籍企業の親会社と子会社の関係が大きく変わり始めてきているという事実発見をしたと述べている。海外子会社が進出先で経営資源や経営ノウハウを蓄積し、逆に親会社に知識やノウハウを提供したり、子会社間で経営資源が移転したりしている。グローバル企業の世界戦略の中で海外子会社が中心的役割を果たすようになっているが、タイトヨタの事例はまさにそうである。
著者の分析手法は従来の経営学研究とは異なる。これまでのものは多国籍企業の企業内のミクロの分析が中心だった。著者は、「企業の境界」を越え、産業政策や外資政策、経済動向などのマクロの分析も織り込む。メゾレベルの経営学の分析手法だという。おかげで、読者にはタイトルにあるトヨタタイを越えて、幅広い知識と視点が得られる。中国やインドなどアジアを中心とした自動車産業の動向、アセアンの役割と拡大、産業クラスターの形成なども分かる。ただ、本書では、技術や知識を移転する際に媒介となる経営者など人の問題にまでは踏み込めなかったといい、今後の課題としている。
(川端久雄)

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