[書評]

2006年5月号 139号

(2006/04/15)

BOOK『ゼロ金利との闘い』

植田和男著 日本経済新聞社 1,700円(本体)

ゼロ金利との闘い

 日本銀行は今年3月、量的金融緩和を解除した。経済学者だった著者は1998年4月に日銀政策委員会審議委員に就任し、以来7年間にわたり金融政策の立案に携わった。本書は前例のない環境の中で、日銀の政策立案に経済学がどのように関与したのかを著したものである。タイトルは、ゼロ金利下における金融政策の意義と限界を示唆している。
 97~98年の大手金融機関の破綻をきっかけに、景気の長期低迷やデフレが継続した。日銀はゼロ金利政策、量的金融緩和、銀行保有株買い入れといった、中央銀行としては異例の措置を次々と講じた。
 世間では物価下落について大騒ぎをしていたが、著者が指摘するように実際のデフレ率(消費者物価指数の前年同期比)は最大で1%程度に過ぎない。日銀は、中央銀行として最も重要な役割である物価安定に十分な役割を果たしたと思われる。しかし、率が低いとはいってもデフレには変わりなく必ずしも成果を上げたとは著者は考えていない。
 日銀は、量的緩和の効果のひとつとして、手元資金が潤沢となった金融機関が、貸出、有価証券投資を増やし収益を獲得するポートフォリオ・リバランス(組み替え)効果を掲げるが、著者はこれを示す証拠は得られていないと述べている。審議委員であった本人が日銀の政策を必ずしも是認していない。政策担当者として焦燥感は強かったに違いない。
 景気低迷や物価下落がかなりの程度、金融システム不安に根ざしており、日銀がこれを緩和するため、なり振りかまわず手を打ったことが日本経済の下支え役になったことを著者は評価している。確かに限界まで金利を引き下げた日銀には、金融政策そのものよりも金融危機対応に期待が集まった。しかし、その後の日本の景気回復の要因としては、中国、米国の好調さに支えられた輸出やそれに関連した設備投資の強さを挙げており、日銀の果たした役割は控えめにみるべきと指摘している。
 日本の株式市場が03年に底打ち後、力強く上昇したきっかけは、りそな銀行による公的資金申請により金融危機がようやく回避されたとの見方が広がったためである。公的資金注入自体は政府の仕事であるが、日銀は特別融資等流動性供給を積極的に行ってきた。日銀の側面支援が十分でなければ金融不安ひいては景気低迷は長引いただろう。
 著者は日銀の政策に限界があったことを示唆しているが、だからこそ限られた選択肢の中で苦しみつつも成果を残してきた日銀に拍手を送りたくなる。量的緩和が解除されたとはいえ政策転換は緒についたばかりである。本書は政策転換の前に出版されたものではあるが、審議委員自身による総括として貴重な記録となろう。(澤田英之)

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