[書評]

2011年12月号 206号

(2011/11/15)

今月の一冊『ウォール・ストリート・ジャーナル 陥落の内幕 ─なぜ世界屈指の高級紙はメディア王マードックに身売りしたのか』

サラ・エリソン 著 土方 奈美 訳  プレジデント社/2000円(本体)

ウォール・ストリート・ジャーナル 陥落の内幕4年前、米国を代表する新聞、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)を発行するダウ・ジョーンズが買収された。買収したのは、1代でメディア帝国、ニューズ・コーポレーションを築いたオーストラリア出身のマードックである。その帝国もその後、傘下の英国大衆紙の盗聴スキャンダルで大きく揺れている。WSJの記者だった著者は、同紙で魅力的なテーマを見つけ、客観的に知的誠実さで報道する技術を鍛えられた。今回、その手法を駆使し、自分を育ててくれた同紙がメディア王の軍門に下ったドラマを再現している。あたかも弔鐘を鳴らすかのように。

同社はダウとジョーンズが19世紀末に創業し、その後、同社を買収した一族が一世紀にわたりオーナーとして支配してきた。公開企業だが、普通株の10倍の議決権がある優先株を保有し、議決権の64%を保有する。こうした優先株が認められてきたのは、オーナー一族の価値観が新聞で重視された時代の名残でもある。

一族は配当を受け取るだけで経営には口を挟まず、編集の独立性を保障してきた。優秀な記者が編集トップだけでなく経営トップ(CEO)につくのが伝統だ。「市場に自由を、個人に自由を」を理念に掲げ、調査報道や分析報道を売り物とし、ニューヨーク・タイムズと並んで米国を代表する新聞と言われてきた。

一方、乗っ取り屋、新聞王と呼ばれるマードックもすでに76歳。WSJかニューヨーク・タイムズのどちらかを手にいれ、新聞人としての頂点を極めるのが夢だった。ネットの普及で印刷メディア業界が苦境に陥り、新聞の廃刊や倒産が続くなか、WSJに破格の高額の買収提案をする。

オーナー一族は長年、「会社は絶対に売らない」という使命感をもち、由緒ある言論機関の庇護者であることを誇りとしてきた。しかし、世代がまたがり数も33人に増え、中には配当だけで働かずに優雅な生活を送ってきた人もいる。意見は割れ、集約に手間取るが、最後は金の魔力には勝てず売却派が多数を占める。

こうしてマードックの傘下に入ったWSJは派手な見出しで日々のニュースを大々的に報道する一般大衆紙になっていく。発行部数で米国最大になるが、優秀な記者は去っていく。真骨頂を発揮すべき金融危機では報道に精細さを欠いた。片やマードックもネットに対抗する十分なビジネスモデルを築けないでいる。結局、同紙の買収は同氏の名誉心は満足させたが、高い買い物となり、自らの資産を大きく損ねる結果になっていると報告している。

本書には企業買収に関与する様々な脇役も登場する。まず買収提案受け入れ役となったCEO。苦学してMBA(経営学修士)をとり、アパレル業界に勤めていた野心家だ。経営再建のためダウ社に招かれ、CFO、COOをへて、伝統を破りCEOになる。投資銀行家の巧みな手引きでマードックに引き合わされ、買収提案を受け入れてしまう。記者出身者と違い、新聞への愛着はない。スクープより株式価値の実現の方が大事だと考える。会社再建という骨の折れる仕事より売却のほうが手っ取り早い。身売りで自らも高額の金を手に入れると、CEOを退きファンドへ転職していく。

投資銀行家にとってマードックとオーナ一族の取引を仲介することは長年の夢だった。「強固な守りの裏をかくことが自分の仕事」と自負する。別の投資銀行家はオーナ一族の鉄壁の砦を破る火薬のような役を果たす人物を探し当て、取り入る。著者がいうように、一旦、アドバイザー、弁護士、PR専門家からなるウォール街のディール処理システムに乗せられてしまうと、すさまじい威力を発揮するのだ。ポイズンピル(買収防衛策)の考案者として有名なリプトン弁護士も登場する。やはり買収促進に手を貸す。
米国では、これまでM&Aを巡るノンフィクションが数多く書かれている。その多くがジャーナリストの手によるものである。しかし、そうしたジャーナリストを育てるメディアも衰退の一途をたどる。本書のような良質なノンフィクションがやがて読めなくなる日もくるのではないかと危惧を覚えた。       (川端久雄)

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