宮川 洋(みやかわ・ひろし)
1965年生まれ。1988年中央大学文学部史学科西洋史専攻卒業。アスキー(現:角川アスキー総合研究所)に入社。出版部門で12年間マーケティング責任者を務める。1999年12月インターネット総合研究所に転職。2000年アイ・アール・アイ コマースアンドテクノロジー(現イード)取締役に就任、20002年代表取締役に就任。
20ジャンル60サイトを展開
イードは、インターネット・テクノロジーを基盤に、IT・自動車・エンターテインメントなど数々の専門メディアビジネスを展開すると同時に、リサーチ&コンサルティング事業・ITソリューション事業などを総合的に展開している。
同社は、もともとインターネット総合研究所の100%子会社「アイ・アール・アイ コマースアンドテクノロジー(以下、IRI-CT)」として事業を開始。その後、日産自動車100%出資の戦略的子会社としてスタートしたデザインマネジメントコンサルティング会社の旧イードを子会社化、さらに10年6月には旧イードとIRI-CTを合併させて商号を「株式会社イード」に変更して新たなスタート切った。
同社の特徴は、積極的なM&A戦略によるメディアビジネスを中心とする事業の拡大である。
具体的には、自動車関連では、総合自動車ニュースサイトの「Response」、IT・ビジネスニュースの「RBB TODAY」、ゲーム関連では総合ゲーム情報の「INSIDE」、エンターテインメント関連では、総合アニメニュースの「アニメ!アニメ!」、情報セキュリティ専門サイトの「ScanNetSecurity」などのほか、リサーチ事業としてマーケティングリサーチ事業を行っている。
グループ会社としてはオンラインショッピング事業、専門家マッチング事業の「エンファクトリー」、絵本の情報・通販サイト「絵本ナビ」を運営している「絵本ナビ」、DIY・園芸・業務用機械類に特化したEC通販事業と ECサイト運営代行、コンサルティングなどを行っている「ネットショップ総研」、欧米企業向けアジア調査サービスを手掛ける「Interface in Design, Inc.」、の4社がある。現在メディア数は20ジャンル60サイトに上っており、15年には東証マザーズに上場した。
2020年6月期の業績は、売上高については前期比2.1%増の53億円、経常利益が前期比11.6%増の3億5000万円、営業利益が前期比12.8%増の3億5000万円、純利益は前期比18.7%増の2億3000万円、を見通している。
同社の宮川洋社長に、起業の経緯から今後の成長戦略までを聞いた。
<インタビュー> 新型コロナ禍の今はむしろビジネスチャンス。積極的なM&Aを進める 宮川 洋(イード 代表取締役)
テニス雑誌を創刊するつもりでアスキーに入社
―― イードを立ち上げた経緯を教えてください。
「私は大学時代、体育会テニス部に所属してテニスに明け暮れていまして、卒業後はテニスに関連したメディアに行きたいと考えていたのですが、縁があって88年当時まだベンチャー企業だったアスキーに入りました。同社は、現在でいうIT企業でソフトウェア、ゲーム、半導体等も手掛け、尚且つ月刊アスキー、ログイン、週刊ファミ通などの雑誌を発行するパソコン関連の出版会社でもありました。当時の私は、そこでテニス雑誌を創刊すればいいと単純に考えたわけです(笑)。ところが、アスキーに入ってみると、出版営業をやってくれと言われました。当時はパソコン関連の出版物も売れていて、やればやるほど結果に出てくる。社長賞などももらって、早い段階で課長、部長になっていきました。
しかし、その後アスキーは経営をめぐって分裂し、PEファンドの傘下に入ったりした後、最終的には株式会社KADOKAWAの『角川アスキー総合研究所』という事業ブランドになっていきます。
それはともかく、私は、営業職としては評価を受けていたものの、一方で、自分がやりたいメディアを立ち上げるためにどうしたらいいのか、という思いをいつも持っていました。ちょうどその頃、90年前半ぐらいに東洋経済から『ベンチャークラブ』という雑誌が創刊されたりして、一種のベンチャーブームのような盛り上がりがありました。異業種交流会に参加したりして、自分も起業できるだろうかと考えていた時にWindows95が出たのです。それを契機に、インターネットの普及に伴って雑誌の売れ行きが落ちていくのは、最前線にいたからわかりました。インターネットが普及するということは、メディア事業のビジネスモデルも大変革することなのだと気付いて、インターネット時代における次世代型の情報発信メディア会社を立ち上げないと駄目だと思い、99年12月にアスキーを辞めました」
WEBメディア開発運営会社を立ち上げ