[書評]

2016年10月号 264号

(2016/09/15)

今月の一冊 『中央銀行が終わる日―ビットコインと通貨の未来』

 岩村 充 著/新潮社/1400円(本体)
 [評者]岩田 一政(公益社団法人日本経済研究センター 代表理事・理事長)

今月の一冊 『中央銀行が終わる日―ビットコインと通貨の未来』岩村 充 著/新潮社/1400円(本体)   「中央銀行が終わる日」というタイトルは、刺激的だ。内容をよく読むと、中央銀行そのものではなく、中央銀行が責任を負っている「経済政策としての金融政策が終わる日」というのが著者の本来の意図であったことが分かる。しかし、ビットコインなど仮想通貨の台頭により中央銀行の貨幣発行独占が終焉する場合には、中央銀行制度とその役割は大きな変容を迫られることになろう。

  著者は、マクロ経済政策としての金融政策は、将来の緩和や引き締めを借りてくるだけで、「インフレ期待」を一挙に高める魔法の杖など存在しないと説く。また、現在の豊かさと将来の豊かさを交換する機能をもつに過ぎない金融政策は、将来の豊かさが消滅した場合(著者はこれを「流動性のワナ」と呼んでいる)には、何の効果も与えることが出来ない。日本経済が、成長経済から停滞経済に移行し、「長くしぶといデフレ」と「短い水準調整インフレ」が景気循環として現れる経済では、金融政策の果たすべき役割は消滅すると論ずる。

  そして、著者は、新たな仮想通貨の間で競争が行われる世界では、中央銀行は、「物価の番人」に似た、安定した価値尺度の提供に特化することになるであろうと予測している。しかし、複数の通貨が共存する世界でどのようにして価値尺度の安定性を維持し得るのか、そこで財政政策がどのような役割を果たすのか、全く未知の領域の問題である。また、自由な競争の下で、良貨が悪貨を駆逐する「逆グレシャムの法則」が貫徹する場合には、結果的には、貨幣発行の独占が復活することも考えられる。

  かつてハイエクは、欧州における統一通貨導入への動きに対して、中央銀行による通貨発行の独占を解体する「貨幣の脱国家化」を推奨する論文を書いた。この論文で、ハイエクは、中央銀行の独占体制を廃止し、民間銀行がそれぞれ独自の通貨を発行すべきであると説いた。著者は、先進国が、固定相場制度の制約を脱して変動相場制度への移行によってインフレ率が低下した事実に着目している。通説では、資本の自由な移動、固定した為替レートの維持ならびに独立した金融政策運営の3つの課題を同時に実現することは不可能だが、変動相場制への移行によって各国の中央銀行が独立して金融政策を運営する自由度が拡大したために、物価安定が実現したと解釈することが多い。これに対して、著者は、変動相場制度の下で、ハイエクが説いたように、政府の規制がなければ強い通貨が生き残るはずであるという「通貨間の競争メカニズム」(逆グレシャムの法則)が働いたために物価安定が実現したと主張している。著者の見方が正しければ、各国中央銀行は、政策協調よりも通貨間の競争メカニズムをもっと活用すべきだということになる。

  大不況期にケインズは完全雇用実現の重要性を説き、金融政策では「安い貨幣(チープマネー)」と財政政策では「賢明な支出(ワイズスペンディング)」の組み合わせを推奨した。これに対してハイエクは、一貫して「完全雇用を実現すれば十分なのか?」という問いをケインズになげかけた。ブーム期の投資によって蓄積された過剰な資本ストックが清算されるまでは、経済が健全性を取り戻すことはなく、完全雇用実現のための金融緩和政策は相対価格の歪みを拡大するだけだと、ハイエクは批判し続けた。そして、ケインズが推奨する中央銀行による国債の大量買い入れによる長期金利引き下げ政策(安い貨幣)とは反対に、過剰な資本ストックの早期解消のために金利引き上げが必要だと説いた。ハイエクは、失業を解消するために、金融政策を含むあらゆる種類の政策措置を動員しても、最終的には資源の生産的活用を妨げるだけであり、安定恐慌を通じて初めて経済は真の均衡を回復すると考えていた。

  現代の金融政策では、完全雇用というよりもインフレ目標の実現が重視される傾向がある。ハイエクが生きていれば、金融政策が実現しようとするインフレ目標についても、「物価が安定していれば十分なのか?」という問いを発したことであろう。著者は、利上げを主張したハイエクとは異なり、デフレ克服には貨幣に利子率を付け、マイナス金利を活用すること、つまり「ゲゼルの魔法のオカネの活用」が重要だと論じている。現金に利子を付けることにはいくつかの技術的な困難が予想されるが、デジタル通貨については利子付きのオカネの導入が容易だ。著者は、ブロックチェーンを基盤とするビットコインについて2つの章を割いてその機能や役割を詳細に論じている。しかし、日本銀行が直面しているのは、「ゲゼルの魔法のオカネ」に至る前段階の日銀当座預金残高の一部に限定された「マイナス金利政策」の位置付けとその評価である。このスケールの大きな本書において、限定されたマイナス金利政策の効果について、もっと詳細に論じて欲しかったと思うのは評者ばかりではあるまい。金融政策が終わる日が来るとしても、景気変動や大きなショックが経済に発生することは回避できない。そうした場合に、財政政策がどのような役割を果たすべきなのかも論じるべき課題といえよう。

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