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[【法務】Withコロナ時代のクロスボーダーM&Aの実務と新潮流(東京国際法律事務所)]

(2020/11/18)

【第4回】 ファンドからの買収案件と表明保証保険 – 保険会社への責任転嫁に売主のモラルハザードはあるか?

森 幹晴(東京国際法律事務所 代表パートナー 弁護士・NY州弁護士)

 海外M&Aにおいて、売主の属性に応じたクロージング後の補償責任の信用補完の必要度の見極めとその具体策は、買主となる日本企業にとって重要な関心事項である。最近、日本企業が海外ファンドから投資先企業を買収する案件で表明保証保険を付保する事案が増えており、表明保証保険の信用補完手段としての留意点と最新実務について紹介したい。

 売主の信用補完の手段として、売主が事業会社や個人オーナーである場合、エスクロー、ホールドバック、親会社保証(子会社が売主となる場合)などが伝統的な信用補完手段であった。しかし、売主がファンドである場合、ファンドはクロージング後に買収対価を投資家に分配して解散することがあるため、事業会社などと違って、クロージング後に補償責任を負うことを嫌う(クロージング後の責任を負わないクリーンエグジットを好む)。そのため、ファンドからの買収案件では、信用リスクを価格に織り込むことがカギとなるのだが、それに加えて、クロージング後の信用補完のため、買主側の表明保証保険の付保が条件となるケースが増えている。

 実務では、ファンドが売主になる入札案件において、売主であるファンド側が保険会社(又は保険仲介業者)との初期的な引受条件の交渉・アレンジを行い、買主候補の確定後、保険会社(又は保険仲介業者)との引受手続が、売主から買主に引き継がれることもある(Seller-flip Buy-side型と呼ばれる)。Sell-flip Buy-side型においては、買主は、保険仲介会社から提示された概算見積書を売主から入手して、売主から手続きを引き継いで、デュー・デリジェンス(以下「DD」という)レポートを保険会社に開示し、保険会社との引受条件に関する交渉を開始することになる。

保険料と保険金請求の実績は?

 表明保証保険は、M&Aにおいて売主の表明保証に違反があった場合、当該違反によって買主に生じた損害を補填することを目的とする保険商品である。米国では「Representations & Warranties Insurance」(略してRWI)、欧州やAPAC地域では「Warranty & Indemnity Insurance」(略してW&I Insurance)と呼ばれる。ここ数年の表明保証保険の普及はめざましく、日本国内の案件で保険が付保されることはほとんどないが、欧州や米国、オセアニアにとどまらず、アジア諸国でも付保可能な国が増えている。

 表明保証保険の検討に値する案件規模や付保条件の相場はどうか。案件規模が小さいと費用対効果が気になるため、経験上、大きめの数十億円あるいは100億円位から検討対象になることが多い。保険の限度額(Limit)は取引金額の10%-25%、免責金額(Retention)は0.5%-1%程度とすることが多い。保険期間は、General Reps/Warrantiesについて2年-3年、株主の所有や契約締結権限の授権などのFundamental Reps/Warrantiesや租税関係の表明保証に関して6年-7年程度となることが多い。

 保険料は、欧州・オセアニアなどで保険限度額の1%-3%程度で、他方、米国は2%-4%程度のレンジ帯が多いが、保険料は低額化する傾向にある。地域による保険料の違いは、欧州型のM&A契約は表明保証が限定的で売主有利なのに対し、米国型は表明保証が網羅的で買手有利になっている契約構造の相違点などが背景にあると思われる。また対象会社の業種も保険料に若干の影響があり、例えば金融業や製薬業は保険料がやや高めとなることがあるといわれる。保険料の実質負担は、売主と買主の交渉次第で、買主が負担するケースと、買主・売主が折半するケースが半々であり、売主がファンドで買主側の表明保証保険の付保を条件とする場合、売主側と保険料の全部又は一部の負担を交渉することが多い。

 実際に保険金請求はどの程度行われているのか。大手保険会社AIGの統計によれば、表明保証保険を付保した案件における保険金請求の発生頻度は、全世界で約20%であり、約5件に1件の割合で保険金請求が発生している。また、請求金額については、10万米ドル~100万米ドル未満の金額帯が全体の46%(平均請求金額は34万米ドル)、100万米ドル~1,000万米ドルの金額帯が37%(平均請求金額は400万米ドル)、1,000万米ドルを超える金額帯が19%(平均請求金額は2,000万米ドル)となっている(注1)。この統計によると、表明保証保険の付された案件の約5件に1件の割合で平均数億円程度の保険金請求が行われているといえるが、実際には、大型の買収案件で多額の保険金が支払われたケースもある。以下、実際の事例を見てみたい。


■参考事例

 本件は、ファンドによる売却案件で、日本企業が売主から虚偽の財務情報(利益の水増し)の提供を受けたと主張して保険会社に対し裁判で請求を行い、勝訴的和解を得た事例である。日本企業による海外M&A案件で、表明保証保険により損害の補填を受けたことが知られて、海外M&A案件で表明保証保険に注目が集まるきっかけとなった。

(a) 事案の経緯

 2011年8月、アサヒグループホールディングス株式会社(以下「アサヒグループHD」という)は、オセアニアでの酒類事業の基盤を確保するため、オーストラリア子会社を通じて、投資ファンド2社からニュージーランドの酒類大手であるインディペンデント・リカー(以下「IL社」という)の買収を発表し、同年9月に株式の取得手続を完了した。取得価額は、当時のレートで約982億円であった。

 しかし、買収後の2013年2月、アサヒグループHDの現地子会社が、オーストラリア連邦地方裁判所において、売主の投資ファンド2社に対し損害賠償請求訴訟を提起した(注2)。現地報道によれば、売却手続やDDの過程で、売手がIL社の予想利益を前倒しで計上して利益を大きく見せるなど虚偽の情報を提供したと主張したとされる。アサヒグループHDは、2011年9月30日までの12カ月間のIL社の予想利益について、売手が提示した125百万ニュージーランドドルではなく、83百万ニュージーランドドルとすべきであったと主張したのに対し、売手側は、損失はアサヒグループHD側のDDの失敗によるものだと主張して争ったとされる。

 その後、2014年5月、アサヒグループHDは表明保証保険を提供した保険会社3社(AIG Insurance New Zealand、Beazley Solutions、Allied World Assurance)に対する保険金請求の訴えを追加した。2014年11月、アサヒグループHDと被告などとの間で、被告などがアサヒグループHDに対して合計約201億円を支払うという内容の和解が成立した。保険会社3社が和解金の約7割を支払い、売主の投資ファンド2社が残りを支払うことが合意されたようである(注3)。

(b) 本事案の意義

 非上場会社の財務情報は、売主の提供情報に依拠する部分が多く、専門家である会計士が真摯に財務DDを行ったとしても、売主側に虚偽や隠匿の意図がある場合、その虚偽などを見抜くことは実務上困難であると言わざるを得ない。本件はファンドによる売却案件であり、表明保証保険の発達したオセアニア地域であったので、表明保証保険が付される典型的なケースであった。表明保証の違反事例として多いのは、財務諸表、租税、法令遵守、重要な契約などで、米国では法令遵守に関する違反が多く、アジア・太平洋地域では財務諸表に関する違反が多く、欧州では租税に関する違反が多いといわれる。本件は日本企業が表明保証保険により実質的に損害を填補された事例として大変意義がある。

Nil Recourse型の登場と売主のモラルハザード対策

 最近、ファンドによる投資先企業の売却案件の場合には、売主の表明保証違反により買主が被った損害は表明保証保険を唯一の担保として、ファンドが補償責任を負わないのを原則とする事案が増えている(Nil Recourse型と呼ばれる)。Nilというのはゼロという意味で、Recourseとは償還請求の意味なので、売主への償還請求のないタイプの表明保証保険という意味である。これによって、売主であるファンドはクロージング後に補償責任を負わないクリーンエグジットを達成できるし、他方、買主としても、補償責任をめぐって売主との交渉が暗礁に乗り上げるのを回避し、買収後に問題が生じたら保険会社から損害の填補を受けることができるメリットがある。

 しかしながら、ファンドが十分な情報開示をせず、あるいは虚偽情報を開示した場合でも保険会社に責任を転嫁できるようでは、売主が買収前に十分に情報を開示しないで売り逃げるモラルハザードの問題が生じる。そのため、Nil Recourse型の場合、保険会社は、以前は付保に消極的といわれた時期もあったが、最近は、Nil Recourse型だからといって付保しないということはなくなり、引受審査の過程で、買収前の情報開示プロセスが適切に行われていたか、また表明保証に関する交渉の状況などを厳しく審査している。なお、保険料率がやや高めに設定されるケースもあるようだが、経験上、売主が保険会社に完全に責任転嫁するのではなく、一定額のエスクローを積むなど売主も一部責任を負担している場合には保険料は低くなる。

Nil Recourse型での自衛策

 買主として、ファンドからの買収案件でNil Recourse型の表明保証保険の付保が条件となる場合の自衛策としては、交渉の段階とその一歩前のDDスコープの立案の段階で、プロセスの適性を確保するため、以下の2点で対策をとっておきたい。

 一つは、Nil Recourse型の場合でも、売主に「詐欺(Fraud)」がある場合は例外的に売主が責任を負うことを明確にするよう交渉することである(Fraud Outと呼ばれる)。「詐欺(Fraud)」の例外の存在により、売主側に正しい情報開示を行うインセンティブが生じるので、売主のモラルハザードの抑止策(情報を隠匿する、虚偽の情報を出すことへの歯止め)となる。

 もう一つは、DDの調査範囲の設計段階から保険のカバレッジを意識したスコープを設定し、DD段階で十分な情報開示を求めていくことである。よく誤解されるところであるが、表明保証保険を付保するからといってDDで手抜きをすることが許されるわけではないことに注意が必要だ。実務上、海外M&Aのファンドからの買収案件は入札方式となることが多く、DDの過程での情報開示が限定的となるので一層重要といえる。例えば、顧客契約や規制当局からの指摘事項など、初期のDD段階では開示されず、契約締結のぎりぎりに開示されることも珍しくない。十分な情報開示を得られていないと感じる場合は、契約書にサインしない勇気も必要である。

保険のカバレッジはDDスコープと連動する

 実務上、保険の引受審査(アンダーライティング)のプロセスで、買主が実施したDDレポートは保険会社に提出しなければならず、保険会社とその弁護士により適切なDDが実施されたか否かが審査される。DDで手を抜いて対象外とした事項は、保険のカバレッジからカーブアウトされてしまう。例えば、実務でよくあるケースは、直接の買収対象の企業はDDを行ったが、一部の子会社は事業上の重要性が低いと判断してDDの対象外とすると、当該子会社は保険の対象外となってしまい、後で保険の対象外とされて困ることがある。対象会社の子会社の不正会計問題により数百億円の損失を出したケースもあり、事業上の重要性とリスクとは別問題である。

 なお、DD段階では、表明保証保険の免責事項(Exclusion)にも要注意である。表明保証保険では、ディール担当者が認識していた事項、売手から開示された情報、業績予測や経営計画などの将来事項に加えて、民事・刑事上の罰金、過料、課徴金、懲罰的損害賠償金、間接損害、製造物責任、移転価格、環境汚染、アスベスト、年金基金の積立不足、腐敗防止法・贈収賄などの事項は免責事項とされるのが一般的だ。免責事項は個別案件ごとに確認を要するが、典型的な免責事項については、保険ではカバーされないので、買収前のDDの段階で十分に調査しておく必要がある。

 このように、DDのスコープは表明保証保険のカバレッジに直結するので、DDのスコープの設定の段階から表明保証保険の利用を見据えた対応が求められる。こうした実務的な洞察を持って助言を提供できる専門家をM&Aチームに加えておくと心強いだろう。

(注1)American International Group, Inc.・「2020 Report – M&A: A rising tide of large claims」
(https://www.aig.com/content/dam/aig/america-canada/us/documents/business/management-liability/aig-manda-2020-w-and-i.pdf

(注2)MinterEllison “Lessons to learn from the Asahi v PEP & Unitas dispute for Japanese investors” (2013/10/08)によると、本件訴訟は、M&A関連の訴訟に典型的な表明保証違反の主張ではなく、消費者保護法に基づく「虚偽又は詐欺的な行為(“misleading and deceptive conduct”)」の禁止違反を主な主張の根拠としている点に特徴がある。この消費者保護法違反の主張は、もともと消費者訴訟で利用される救済策であったが、最近のオーストラリアでは、M&A当事者間の紛争でもこの消費者保護法違反に基づく主張が増加傾向にあるようである。

(注3)Sydney Morning Herald 2014年11月18日版。

東京国際法律事務所

■筆者略歴

森 幹晴(もり・みきはる) 

2002年東京大学法学部卒業。2004年長島・大野・常松法律事務所。2011年コロンビア大学法学修士課程修了。2011-2012年Shearman & Sterling(ニューヨーク)。2016年日比谷中田法律事務所。2019年東京国際法律事務所開設。
日本企業による海外M&A・国内M&A、国際仲裁等に注力。ALB Japan Law Awards 2020において、Dealmaker of the Year、Managing Partner of the Yearの各カテゴリーにおいてファイナリストとして選出。IFLR1000 - Guide to the World’s Leading Financial Law Firms において、Leading Lawyer - Notable Practitionerに選出。


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