[書評]

2013年1月号 219号

(2012/12/15)

今月の一冊 『古典から読み解く経済思想史』

 経済学史学会、井上 琢智 ら 編/ミネルヴァ書房/ 2800円(本体)

今月の一冊 『古典から読み解く経済思想史』 経済学史学会、井上琢智ら編 ミネルヴァ書房 / 2800円(本体)   経済学史や社会・経済思想史の研究者が集まる経済学史学会が創立60周年になるのを記念して編集された本である。過去の経済学者の学説や思想に読み解き、捉え直すことによって、今日の経済社会が抱える様々な課題を解決する処方箋を得るための思索へつなげようというのだ。

   日本は、今、少子・高齢化、人口減少、財政赤字、景気低迷、失業増加、格差拡大、社会の無縁化などに加え、東日本大震災と原発事故による社会的混乱が追い討ちをかけている。しかし、世界の歴史をたどれば、時代ごとに乗り越えなければならない課題があった。先人の経済学者らが思索をめぐらし、論争をし、解決へ導く手がかりを与えていた。過去に埋まっている「思想の原石」を掘り起こし、活用しない手はないのだ。

   この30年間、新自由主義が世界を支配してきた。「可能なかぎり政府を排除し市場に任せることを優先させよ」という経済思想だ。米英で金融の自由化が進められ、揚句の果て今回の世界経済危機をもたらした。日本でも、小泉内閣のもとで規制緩和など構造改革が進められた。編者の1人は、250年前のアダム・スミスを読み直し、社会、市場、政府の関係を問い直す。スミスは人間に備わる「同感」の感情と能力に注目し、「同感に支えられる安定した社会」が根底になければならないとした。日本の2000年代の構造改革は、「この点を視野に入れていなかったため、社会からの抵抗を受け、頓挫した」と総括している。歴史の文脈の中でみると、こういう教訓が得られるのかと驚く。日本の復興への道は、同感社会の修復にあるとする点も説得力がある。そもそも、市場原理主義の淵源とされる米国でも市場の倫理や正しさを巡って様々な議論が積み重ねられてきた。新自由主義の代名詞とされるシカゴ学派の祖、フランク・ナイトが、実は理論経済学が想定する完全競争は非現実的な諸前提により成立しており、そこでの考察を直ちに政策の基礎として役立てるわけにはいかない、と指摘しているというのも興味深い。

   社会保障制度をどう再構築するかも大問題だ。現代福祉国家の理念をつくったべヴァリッジの考え方を知っておくことが役に立つ。元来は、階層を問わず国民に必ず起こりうるリスクに対し、全員が等しく対処するものとして構想され、国民統合の象徴であった。ところが、現在の日本では、逆に高齢者と若者が反発し合うなど社会を分断する元凶になっているのだ。社会保障の構想だけでは、国民の安全は保障されないとして、ベヴァリッジが考えていた友愛組合や協同体の構想、さらには19世紀末にフランスで展開されたアソシアシオンの考え方が紹介されている。アソシアシオンとは、人と人とのつながりのことで、こうした中間組織の存在が個人と国家あるいは市場と政府をつなぎ、バランスのとれた経済構造を可能にしてくれるという。人の絆の大切さが見直されている日本で参考になる。

   経済学者らの資本主義経済の定義や資本主義観も面白い。ゾンバルトは、非人間的な企業形態による無限の利潤追求経済と定義した。ケインズは、道徳性の観点からは否認されるべきものだが、効率性や技術的改善の可能性の観点からは当分の間、是認せざるを得ないとした。それがゆえに、資本主義を賢明に管理し、所得配分の不平等、失業などの悪弊を除去する政策技術の探究が不可欠とした。リーマン・ショック後に、ケインズが見直されている所以も分かる。

   古典派経済学から始まり、限界革命による新古典派経済学の勃興、制度派経済学、環境経済学、最近のエントロピー経済学、行動経済学まで学派の流れが概観できる。限界効用、外部経済といった新古典派経済学が発見した主要概念も学べる。300頁に盛りだくさんの内容が詰まっている。一般読者向けに書かれていて、経済学に興味を持たせてくれるし、原典を紐解きたいという気持ちになる。

   元々は人間の本性に関する幅広い研究のうえに立ってスタートした経済学が、人間を捨象し、希少性に関する純粋学問に変貌していった。これに対し、経済学での「人間の復興」を呼びかける本書に共感を覚えた。
(川端久雄〈マール編集委員、日本記者クラブ会員〉)
 

 

 

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