[【企業価値評価】財務分析入門(一橋大学大学院 円谷昭一准教授) ]

(2016/10/12)

【第1回】 財務分析の基本手法

 円谷 昭一(一橋大学大学院商学研究科 准教授)

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はじめに


 本連載では、「財務分析入門」と題して7回にわたって連載します。

 M&Aにおける財務分析手法も、他の目的での財務分析手法も基本的には同一です。企業の経営企画部門などが同業他社を分析する場合も、投資家が投資先を分析する場合も、銀行が融資先を分析する場合も、もちろん基本的な分析手法は同一です。したがってこの連載では、どのような目的であっても必要となるごく基礎的な分析について学びます。M&Aにおいて重視した方がよい分析視点については、連載の中で触れていきます。

 そもそも財務分析はなぜ有用なのでしょうか。「財務分析」とは、「財務諸表分析」のことです。財務諸表とは、「企業がその利害関係者に対して財政状態および経営成績に関する会計情報を提供するための手段」とされています(会計学大辞典)。財務諸表を分析するとどのようなメリットがあるのでしょうか。

 たとえば、トヨタを分析するためにトヨタ本社の前にテントを張ってヒトやモノの流れを24時間観察したとして、それはトヨタのほんのごく一部分の動きでしかありません。本社以外にも世界中でトヨタは活動しています。それらを同時に隅々まで観察することは不可能です。そこで、複式簿記のシステムを用いて、そうしたトヨタのすべての活動をたった数枚に財務諸表で表現します。複式簿記は企業のあらゆる経済活動を記録し、集約して財務諸表に映し出します。よくルネサンスの三大発明として火薬、活版印刷、羅針盤が挙げられますが、この複式簿記をそれに含める識者もいるほどです。

 財務諸表には企業のあらゆる経済活動が集約されています。つまり、財務諸表を分析するということは、企業それ自体を分析することと同じことなのです。企業を知りたければ、その会社の財務諸表から知るしかありません。ここに財務(諸表)分析の重要性があります。

会計情報は「すでに起きた未来」

 財務諸表は、「諸」という文字からも分かるように、いくつかの表から構成されています。具体的には貸借対照表、損益計算書、キャッシュ・フロー計算書、株主資本等変動計算書の4つです。これらの表の役割分担や記載されている情報の中身については「西山先生のM&A基礎講座[決算書の見方]」で学んで頂きたいと思います。本連載では、あくまでそれらに記載されている情報の分析方法に焦点を当てていきます。

 財務諸表に載っている会計情報は、その企業の財政状態および経営成績に関するものです。どちらも過去の情報であり、未来の情報ではありません。PMIという言葉があるように、M&Aは未来志向の企業活動です。過去情報の分析がなぜM&Aにおいて必要なのでしょうか。それは、過去とはその会社の「すでに起きた未来」だからです。動いている船の航跡を想像してみてください。航跡はその船が進んできた過去の道のりです。船は瞬間で大きく転舵することはできませんので、航跡を見ることでその船が進んでいくであろう未来の道筋をある程度想像することができます。企業もまた1日でまったく別の姿に変じることはできません。企業には様々な利害関係者がおり、そもそも人が運営しています。人が1日で変われないように、企業もまた変わりません。したがって、その企業が進んでいくであろう未来の道筋を考える上で、過去の事実である財務情報を分析することが有益となります。

 では、具体的にどのように分析を進めていくのでしょうか。「ファンダメンタル分析」という言葉を聞いたことがある人も多いと思います。一般的にこのファンダメンタル分析を財務分析と称することが多くあります。ファンダメンタル分析は、企業を詳細に分析し、細部の問題点を浮き彫りにしたい時に大きな力を発揮します。他社との比較をしたい時にも有用な手法です。本連載では次回以降で、このファンダメンタル分析を解説していきます。

 ただし、いきなりファンダメンタル分析から入ってしまうと、分析が詳細であるがゆえに「木を見て森を見ず」という落とし穴に陥ってしまうこともあります。つまり、企業の細部を分析したために、逆にその企業の大まかな特徴を捉えにくくなってしまうのです。そこで、ファンダメンタル分析に入る前に、ざっくりとした財務諸表の概観を押さえるとよいでしょう。それだけでも企業を見る目は大きく変わってきます。

【ケース】エレクトロニクス各社の有形固定資産の比率

 企業が持つ資産には大きく流動資産と固定資産の2つがあります(詳しい説明は「西山先生のM&A基礎講座[決算書の見方]]」を参照)。固定資産はさらに有形固定資産、無形固定資産、投資その他の資産に分かれます。製造業が自社で保有している製造設備はこの中の有形固定資産に分類されます。テレビなどでよく見るような一般的な工場は建物の中に多くの製造機械が並び、材料や製品を運ぶフォークリフトが頻繁に行き来しています。このような工場の土地、建物、機械、備品、車両などはすべて「有形固定資産」と呼ばれます。企業が持つすべての資産(総資産)に占める有形固定資産の比率をキヤノン、ソニー、任天堂で比較してみました。
 

     (キヤノンは2015年12月期、ソニー・任天堂は2016年3月期の連結データ)

 キヤノンのプリンターやデジタルカメラは誰もが一度は見たことがあるでしょう。こうした製品の製造工場を抱えているため、キヤノンの総資産に占める有形固定資産の比率は27.6%となっています。同じくソニーもデジタルカメラやテレビ、ウォークマンなどの製品群の製造工場を持っているにもかかわらず有形固定資産の比率は4.9%にとどまっています。この理由は、ソニーがソニー銀行、ソニー損保、ソニー生命といった金融部門を抱えているため、総資産に占める有形固定資産の比率が相対的に低く抑えられていることによります。任天堂はソニーのような金融部門は抱えていませんが、有形固定資産の比率は6.8%と低い値です。なぜでしょうか。任天堂はWiiやニンテンドーDSといった製品の製造を外注しており、自社工場で生産していないからです。このように自社で製造設備を持たない企業をファブレスメーカーと呼びます。任天堂やキーエンスはその典型例です。

 企業の活動が変わればもちろん財務諸表の見え方も変わってきます。財務諸表分析は、その背後の企業活動そのものを理解して初めて威力を発揮します。いわば車の両輪です。どちらが欠けても十分な分析とは言うことはできません。

ファンダメンタル分析の視点

 まずは分析企業の大まかな財務的特徴をつかんだうえで、より詳しくファンダメンタル分析を行っていくとよいでしょう。「ファンダメンタル」は英語のfundamentalsをカタカナ表記したものですが、あえて日本語に訳すならば「基礎的要件」などと訳します。ただ、基礎的要件と言ってもピンときませんので、ここでは企業を分析する際の視点、視座、見方、としておきましょう。どのような視点から企業を分析するのか。これはとても重要な論点です。たとえば、分析者によっては企業の現在の収益性に焦点を当てる場合もあれば、将来の成長性に焦点を当てる場合もあろうし、または資金繰りの良し悪しを重視するかもしれません。しかしながら、現在の収益性に焦点を当てたとしても、資金繰りをまったく考慮しないというのでは企業分析としては不十分でしょうし、逆に資金繰りだけを見て将来成長をまったく見ないというのも偏った分析となってしまいます。分析における軽重はあったとしても、そうした様々な視点での分析をまんべんなく取り込むことが大切です。このように多面的な財務分析の手法をファンダメンタル分析と呼びます。

 実際に分析をする際には、一般的には「安全性」「効率性・生産性」「収益性」「成長性」の4つの視点からまずは分析していきます。そうした4つのファンダメンタルズを抑えたうえで、総合評価をしていきます。


 これら4つの視点のうち、まずは安全性から分析を始めることが一般的です。財務分析における安全性とは「倒産しそうかどうか」という意味で用いられます。仕入れ代金を払う資金余力はあるか、借金は多すぎではないか、といった分析が行われます。どんなに成長性が高くても、いま倒産してしまったら意味はありません。したがって、まずは安全性を調べてみるのです。安全性が確認できたら、さらなる分析視点へと歩を進めていきます。すべての視点からの分析が終わったら、あとは総合評価を残すのみです。

 本連載ではこうしたファンダメンタル分析を以下のスケジュールで説明していこうと思います。

  第2回  安全性分析
  第3回  効率性・生産性分析
  第4回  収益性分析
  第5回  成長性分析、総合評価

 こうした分析の視点はそれぞれが独立しているわけではなく、相互に関連しています。また、どちらの視点から分析したらよいのか、よく分からなくなることも多々あります。たとえば、仕入れ代金の返済用に多額の現金を金庫の中にしまっている場合、支払い余力という安全性の視点からは高い評価を得ますが、資金の効率的な活用という視点からは低い評価となってしまうかもしれません。このようにそれぞれの視点は密接に関連していることが分析を難しく感じさせてしまっていることは否めませんが、次回以降では出来る限り分かりやすく説明していこうと考えています。

参考文献

 本連載で紹介する分析手法はあくまで標準的なものです。読者の理解を優先し、厳密な説明を省略している個所もあります。より詳しい説明や実務への応用については以下の文献などが参考になります。

伊藤邦雄『新・現代会計入門(第2版)』(財務分析は主に終章に収録)
同『新・企業価値評価』(財務分析は主に第7章に収録)


■筆者プロフィール■
円谷 昭一(つむらや・しょういち)
一橋大学大学院 商学研究科 准教授。2001年一橋大学商学部卒業。06年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了、博士(商学)取得。埼玉大学経済学部准教授を経て、11年より現 職。経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ-企業と投資家の望ましい関係構築を考える-」委員、「企業会計とディスクロージャーの合理化に向 けた調査研究」委員などを歴任。日本IR協議会客員研究員。主な論文に「機関投資家ファンダメンタルズと株主総会投票行動の関連性(月刊資本市場2016 年9月)」、「IFRSの任意適用が経営者業績予想の精度に与える影響(會計2016年6月)」など。

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