[書評]

2010年5月号 187号

(2010/04/15)

BOOK 『アメリカのM&A 取引の実務』

伊藤廸子、Michael O.Braun監修 有斐閣 2800円(本体)

2000年代に入り日本企業による米国企業の買収が変化してきている。その先鞭をきったのが、凸版印刷によるデュポンのフォトマスク製造子会社の買収だ。現金を対価とする三角合併で上場企業を買収した。それ以降、様々な手法を使って日本の製薬、電機、損保などが米国企業を相次いで買収している。大型化し、敵対的TOBとなったケースもある。海外で時間と費用を浪費せずにM&Aを成功させるにはどうすればよいのか。こうした課題に直面する日本のビジネスパーソンに向けて、本書は書かれている。
投資銀行や弁護士の役割、ストラクチャーの内容と選択、買収契約の主要条項、相手が公開企業の場合のアプローチの仕方、防衛策がある場合の戦略などが分かり易く解説されている。実践的なアドバイスも多い。最初の難関がデュー・ディジェンスだ。どこまでやればいいのか。費用はいくらかかるのか。対象企業がどう出てくるか。「面白い作業ではないが、重要な手続き。無計画に行われると、必要以上に多くのアドバイザーを巻き込み、費用も高額、時間もかかってしまう」。しかし、満足のいくデュー・ディリができなかったからといって、取引を諦める必要はない。買い主は、最終契約において売り主に表明保証や補償を約束させ、確認できなかったリスクから自己を守る道もある。逆に、もし売り主が包括的なデュー・ディリを認めるようなケースでは、売り主の交渉力は強くなると指摘する。
買収のアプローチも具体的だ。さりげない誘い→市場での買い付け→ベア・ハグ・オファー→同オファーの公開→敵対的TOBと進む。ベア・ハグとは、乱暴に抱きしめる意味で、買収者が買収提案を先行して公表し、株主や市場に信を問うやり方だ。日本の製薬企業による敵対的TOBもこうした流れの中で行われているのだろう。日本企業によるクロスボーダーM&Aの深化には目を見張る。TOBと同様、敵対的買収として位置づけられる委任状争奪戦についてもSECの審査、委任状説明書の株主への配布などの手続きが示されている。委任状勧誘会社、PR会社、取締役候補を探す会社など、新たに多くの専門家を雇う必要があり、事前に費用と勝算があるかを検討する必要がある、といった実戦的な説明もある。
M&A取引一般の知識の勉強にもなる。生半可に理解していた概念や制度や、今さら人に聞くのも恥ずかしいといった基礎知識の正しい理解にも本書は役立つ。巻末に用語集も掲載されている。秘密保持契約、LOI(レター・オブ・インテント)、表明保証、補償、コベナンツ(誓約事項)などの基礎概念が、M&A取引の進展にあわせ、具体的な文脈のなかで解説がされている。限定文言の使い方など、日本人には分かりくいニュアンスの違いの説明もある。例えばコベナンツでは「最善の努力」「合理的な努力」「商業上合理的な努力」の使い分けがあり、それがどういう意味なのかも分かる。
日本企業のM&Aの関心は米国からアジアへ移っているが、グローバルM&A取引の手続きや契約は米国と共通点も多い。国内同士でも大型案件はそうだ。米国モデルの知識をしっかり理解しておいて損はない。この仕事を始めた当時、『The Art of M&A』を紹介され読み始めたことがあるが、今、こうして日本語で知識を得られることの有り難さを実感している。(青)
 

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