[書評]

2012年7月号 213号

(2012/06/15)

今月の一冊 『日本のローファームの誕生と発展  ―わが国経済の復興・成長を支えたビジネス弁護士たちの証言―』

長島 安治 編集代表 商事法務/4200円(本体)

『日本のローファームの誕生と発展 -わが国経済の復興・成長を支えたビジネス弁護士たちの証言-』 /長島安治編集代表 商事法務/4200円(本体)米国で大規模な法律事務所のことをローファームと呼ぶ。日本でもこの10年余りで大規模化が進み、4大法律事務所といわれる事務所も形成された。その誕生と発展に関わった弁護士を中心に、各専門分野で戦後日本の企業のビジネスを支えた弁護士らが寄稿している。
弁護士は本来は自営業である。少し前まで日本の法律事務所は、ほとんどが個人事務所だった。成り立ての弁護士はイソ弁として何年かボス弁の下で修業すると独立していった。こうした中、外国企業との渉外事務を担当する弁護士が米国のロースクールに留学し、現地のローファームで実務修習を経験した。そこでは100人もの弁護士がいて、パートナーシップのもと事務所を共同経営している。複雑な事案には専門分野をまたぐ弁護士が協働作業でサービスを提供する。事務所として経験を蓄積し、継続性もある。人的・物的体制も充実している。彼我の差に刺激を受けた彼らは日本でも近代的な共同事務所をつくろうと情熱を持って帰国する。「坂の上の雲」の時代を切り開く人たちだ。
こうして、日本でも弁護士同士が組合契約を結ぶ共同法律事務所の形態ができてくる。事務所の名前にパートナートシップを組む弁護士の名前が並記される。1960年代半ばから70年にかけ、今日のアンダーソン・毛利・友常、長島・大野・常松、西村あさひ、森・濱田松本の4大事務所の原型ができていく。精々10人前後の集まりだが、経営のあり方やパートナー間の利益と費用の分配をめぐって対立・抗争が生じ、やがて分裂していく。
「今あるほとんどすべての大手法律事務所は分裂を経験している。それまで存在しなかった本格的なパートナーシップ組織が日本に生れるために必要な過程であった。分裂と抗争の業火は、それを経験した者に弁護士事務所の組織とはどうあるべきか考える機会を与えた」(友常信之弁護士)、「長い弁護士生活の中で、最も苦い、2度と繰り返したくない試練であった」(長島安治弁護士)といった証言もある。こうした中から、パートナーシップ契約に「金のことでもめてはならない」としたり、「すべての依頼者は事務所の依頼者」として完全収支共同制をとったり、組織のあり方に工夫を凝らすようになる。奇麗事だけでなく、当事者の肉声による人間臭いドラマが語られている。
バブル崩壊後、日本のローファームの形成は一気に加速する。90年当時、最大の事務所でも40人程度だったのが、2000年には100人、2010年には400人を超すまでになる。日本経済の再構築の中で、外資企業による買収などが活発になり、弁護士需要が急増したからだ。これに対応しようと合併が行われ、4大法律事務所が形成される。日本の産業界の疲弊に反比例するかのように弁護士業界が隆盛していくのは何とも皮肉である。
とは言え、日本の弁護士業界も大規模化していなければ、ビジネス法務の分野は英米系のメガファームにのみ込まれていたかもしれない。ただ、日本が大規模化したとは言っても、3000人の弁護士を抱え、世界30カ国以上に支店を置くグローバルファームとは未だに圧倒的な格差がある。今後は日本の弁護士事務所の海外展開が課題だ。やっとアジアに向けて進出をするようになっているが、真のローファーム化への道はこれからだ。
渉外弁護士からビジネス弁護士と言われるようになった弁護士の目を通じての戦後日本の経済発展史とも言える。先駆的なM&Aを切り開いた弁護士の証言もある。総じて、弁護士としては良き時代にぶつかり、恵まれた人たちでもある。編集代表者の長島弁護士は自分たちが「活躍できるのは、日本経済ないし日本企業の力の反映」であり、「その幸運に感謝して精進する心掛けが大事」と戒める。日本企業が苦境にある今、今度は弁護士の立場から日本企業の再生・成長に役立つアドバイスを積極的にしてほしいと思う。
(川端久雄)
 

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