[【小説】新興市場M&Aの現実と成功戦略]

2015年6月号 248号

(2015/05/20)

第2回 『悪意無き欺き』

 神山 友佑(デロイト トーマツ コンサルティング パートナー)
  • A,B,EXコース

【登場人物】(前回までのあらすじ)

  三芝電器産業の朝倉俊造はインドに赴任した。半年ほど前に買収したインド企業への出向である。
  不安を抱えながらムンバイに降り立った朝倉は、既に着任していた先輩社員である伊達伸行に連れられ、工場の見学を行うことになった。



建屋

  空港から2時間かけて、朝倉を乗せた車はようやく到着した。
  門の脇には「Reddy Electricals」という看板が掲げられている。しかし注意深く見なければ気が付かないほど目立たない。これは日本国内の三芝電器の事業場では考えられないことだ。日本では三芝電機のロゴは門だけではなく建物にも大きく掲示され、近隣住民にその存在を誇示するかのように目立つ。それに比べるとレッディ社の看板は、本社としてあまりにも控えめというか、埋もれてしまっている印象を朝倉は受けた。
  また三芝電器の社名やロゴがどこにもないことに気が付いた。創業者であるレッディ家が持ち分を保持はしているが、半年前に95%以上の株式を三芝電器産業は取得済みである。しかし門にも建物にも、三芝電器の名前は一切表記されていない。三芝電器のグループ企業に出向したはずだが、慣れ親しんだ社名やロゴがどこにも見当たらないことに朝倉は違和感を覚えた。
  しかも何よりも一番驚いたのが、本社社屋そのものである。レッディ社は約1万人の従業員を抱える大企業だ。製品シェアもインド国内で1位と聞いている。しかしその本社社屋は、日本でイメージしていたものとは全く違っていた。華やかさがないのは仕方がないにせよ、建物全体から古く重苦しい印象を朝倉は受けたのだ。三芝電器の本社や事業場のような、広々とした建物配置や機能的で整然とした印象はそこには皆無であった。
「着いたぞ」
  伊達はそう言うと助手席から降りた。朝倉も慌てて車から出て、改めて本社社屋を見上げた。鉄筋コンクリートの6階建てと思われる社屋の外壁は薄汚れており、長い年月の経過を感じさせた。
「結構、古い建物なのですね」
  トランクから荷物を出しながら、朝倉は伊達に尋ねた。
「いや、3年前に建てたばかりらしい。全くそうは見えないがね」
  朝倉は面食らった。3年前に建設したとは思えない。少なくとも20年近く経過している印象だ。
  訝しがる朝倉に気付いたのか、伊達は建物を見上げながら言葉を重ねた。
「インドでは、日本の5倍から10倍の速さで建物の劣化が進むという冗談がある。あながちウソじゃないだろう。朝倉君が驚くのも無理はない。気候など原因は色々あるだろうが、そもそもの施工技術と掃除の考え方、メンテナンスのスタンスに大きな差がありそうだ」
  朝倉は黙って頷いた。

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