[書評]

2013年8月号 226号

(2013/07/15)

今月の一冊 『法の世界からみた「会計監査」―弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える』

 山口 利昭 著/同文舘出版/1800円(本体)

今月の一冊 『法の世界からみた「会計監査」―弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える』 山口 利昭 著/同文舘出版/ 1800円(本体)   弁護士と公認会計士。ともに実務家として企業に関わっているが、あまり接点がなかった。ところが、最近、企業の不祥事が発覚したときに設置される第三者委員会などで協働する場面が増えている。弁護士である著者もそうしたところで、弁護士と会計士の間にはわかりあえないミゾがあることに気がつくようになった。このままでいいのか。今、企業を取り巻く環境は大きく変化している。今後、日本企業が成長していくためには、企業自らが対応するのはもちろんだが、専門スキルを提供する弁護士と会計士が専門領域に閉じこもらずに、連携して相乗効果を発揮することが必要だと訴えている。

   弁護士が活躍するのは裁判所での被害者の民事救済、不祥事を起こした役員らの刑事責任追及の場面だ。規制の区分で言うと、事後規制の世界である。一方、会計士(監査法人)は監査業務を通じて、企業の財務諸表などが適正かどうかの意見を表明する。虚偽の決算書などで投資家が間違った判断をするのを防ぐためで、こちらは事前規制の世界である。棲む世界が異なり、双方の仕事が交錯する場面はあまりなかった。

   ところが、90年代後半から日本の企業社会に対する規制方法が事前規制から事後規制に変わってきた。行政が細かなところまで規律していたのをやめ、企業の自由な事業活動を最大限認める。ただし、事故や不祥事が起きないように企業には自律的行動を求めるのだ。

   この自律的行動を促すためには、行政が得意としてきた事前規制的発想が必要になる。本当に安全な商品を世に送り出しているのか、誠実な企業なのかが、国民に伝わり、批判が企業に向けられるような仕組みが必要で、この仕組みも徐々に形成されてきている。投資家保護の場面でも、粉飾や会計不正を予防するための担い手として会計士や弁護士を取り込む動きが広がっているのだ。著者は社外役員制度、内部統制報告制度、第三者委員会制度などもこの文脈で説明している。

   中でも会計士は市場の番人としての役割が期待されるようになっている。例えば、オリンパス事件で話題になった会計士の不正事実届出制度(金融商品取引法193条の3)がその代表だ。会計士が監査に従事していて、法令違反等事実を発見した場合に会社への通知義務や金融庁への届出義務が課されるようになった。被害を未然に防止する機能を会計士に要請しているのである。オリンパス事件で明らかになったように、会計士はこの運用に躊躇しがちだが、これでは市場の番人的役割を果たせず、さらなる行政の介入を招くと警鐘を鳴らしている。

   弁護士と会計士の違いも面白い。一番の違いは、最終判断権者がいるかいないかでの違いである。弁護士には裁判官という最終判断決定者がいる。そもそも法律の解釈はいくつもあり、セカンドオピニオンが存在する。それもあって、負けても裁判官が悪かったと責任転嫁もできる。これに対し会計士は、自らが最終判断決定者である。しかも、会計的な真実は一つであってセカンドオピニオンは存在しない。自分の判断一つで、クライアント企業が上場廃止に追い込まれるかもしれない。従って、慎重に事を進め、判断が後から覆ることを極度に恐れる。

   事実認定の方法も違う。弁護士は証拠をもとに小さな事実を積み上げ、絶対的真実に迫ろうとするが、会計士は仮説を立て、大局的見地から最もあり得ると考えられる相対的真実を求める。根底に法と会計の学問の違いがあるのでミゾを埋めることは難しいが、第三者委員会などで一緒に仕事をするうえでは、こうしたミゾがあることを知っておくことも必要だとしている。

   法と会計にまたがる問題は、裁判と監査の両方の実務を実際に経験しないと考察することは難しく、これまで学術的にもほとんど取り上げてこられなかった。しかし、旧日本長期信用銀行事件や旧日本債券信用銀行事件で争点になった「公正なる会計慣行」のように法と会計と「狭間」の問題を避けては通れない時代になっている。学者が敬遠するこうした分野に光を当てた意味は大きい。著者はブログ「ビジネス法務の部屋」で知られる大阪の弁護士である。

(川端久雄〈マール編集委員、日本記者クラブ会員〉)

 

 

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