[【小説】グローバル経営改革 ~ある経営企画部次長の悩み深き日々]

2019年7月号 297号

(2019/06/17)

【小説】グローバル経営改革 ~ある経営企画部次長の悩み深き日々(第1回)

第1章「海外子会社のガバナンス改革編」 第1話「最初のミッション」

伊藤 爵宏(デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー)

【登場人物】

サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 部長
堀越 一郎
サクラ電機株式会社 本社 経営企画部 次長
木村 遼太
Sakura Asia Pacific Planning Group Manager
中田 優紀
 サクラ電機の木村遼太は、本社の経営企画部へ配属された。
 経営企画部での最初のミッションは、地域統括会社が主導する東南アジア子会社のガバナンス改革プロジェクトの立ち上げを本社の立場から支援することだった。
 これは、あるコーポレートの経営企画部次長が、様々なコーポレートアジェンダに携わり、そして経営と現場の間で葛藤しながら、自社におけるグローバル経営の在り方を模索するストーリーである。



予期せぬ窮地

 サクラ電機の東南アジア地域統括会社であるSakura Asia Pacificのオフィスは、シンガポールのチャンギ国際空港からほど近い場所に所在している。その一角にある大会議室で、サクラ電機本社の経営企画部次長である木村遼太は、思わぬ状況に追い詰められていた。
 長方形に連ねられた長机には、サクラ電機の東南アジア子会社の社長たちが座し、木村を取り囲んでいる。皆厳しい面持ちで木村に視線を投げかけ、次に木村が発する言葉を値踏みする構えを見せている。そして、木村の横では、Sakura Asia Pacificの企画担当マネジャーである中田優紀が、困り果てた表情でうつむいている。大会議室はジャケットを着ていないと寒いくらい冷房が強く効いているはずだが、木村は自らの額に汗が浮かんでいるのを感じていた。
 なぜ、このような状況に至ったのか。木村は気持ちを落ち着けるため、周囲に気づかれないようにこっそりと深呼吸をして、その経緯を頭の中で反芻し始めた。

本社への配属

 木村が本社経営企画部へ配属になったのは、ほんの2週間ほどの前のことである。経営企画部で海外事業担当を増員することになり、木村のかつての上司であり、現在は経営企画部の部長である堀越一郎が木村を「一本釣り」する形で異動となった。
 「また木村君と一緒に仕事ができてうれしいよ。さて、木村君にはひとまず海外事業担当を担ってもらうわけだが、サクラ電機の海外事業を取り巻く現状とその課題は何だと思う?」
 配属直後の木村に対し、堀越は再会の挨拶もそこそこに尋ねた。部下に何かを伝えるとき、まず質問を投げかけて考えさせる。かつて一緒に仕事をしていたときと変わらない堀越のスタイルだ。
 「当社はこれまで、海外M&Aを含めた積極的な海外投資により、グローバル化を推し進めてきました。既に海外売上が国内売上を上回る水準にもなっています。しかしながら、その急激な海外事業の拡大による歪みとして、海外子会社での不正会計をはじめとしたリスクが顕在化しつつあり、海外子会社の管理体制の強化、さらに言えばグローバル経営の確立が課題なのではないでしょうか」
 木村は久しぶりの問答の感覚を懐かしみながら、自らの知る情報を駆使して答えた。
 「うん、大まかにはそういうことだ」
 堀越は満足そうな表情でうなずくと、具体的な話題に入った。
 「中でも、特にリスクが大きいと判断された東南アジア地域では『ガバナンス改革プロジェクト』を立ち上げ、域内での管理体制の強化や経営情報の可視化を目的に、オペレーションやシステムの統合といった改革施策を企画している」
 堀越はさらに続ける。
 「このプロジェクトは、一義的には地域統括会社のSakura Asia Pacificが主導することになるが、グループの重要課題であることから、我々経営企画部も『アドバイザー』という形で参画することになった。いわば、本社からのお目付け役だな。再来週には、東南アジア各社の社長を集めたプロジェクトのキックオフミーティングがシンガポールで行われるから、木村君には現地で参加してきてほしい」
 配属早々、海外出張か。木村は少々戸惑ったが、当然ながら断る理由はないため承知した。木村の意思を確認すると、堀越はSakura Asia Pacificのプロジェクト担当者である中田の名前を伝え、キックオフミーティングまでに下打ち合わせをしておくよう指示した。

地域統括会社の立場

 堀越からの指示を受け、木村は早速Sakura Asia Pacificの中田と連絡をとり、シンガポールと日本をつなぐテレビ会議を行った。
 会議では、中田がキックオフミーティングでのプレゼンテーション資料を用い、プロジェクトの背景、目的、取組内容、スケジュール、体制などを説明した。木村は、堀越から聞いている課題認識との整合を確認するとともに、中田にいくつか質問をしながら内容のキャッチアップに努めた。
 そして、質疑応答も一通り終わり、そろそろ会議を切り上げようかという場面で、今度は中田が少々言いにくそうに木村へ質問した。
 「ちなみに、今回のプロジェクトは、本社からの『Direction』であるという位置付けでよろしいのでしょうか?」
 木村が質問の意図を問うと、中田は言葉を加えた。
 「実は、東南アジア地域では、背景や目的は様々でしたが、過去に何度か域内でオペレーションやシステムを統合しようとしたんです。しかし、各社の抵抗によって挫折してきた経緯があるんですよ」
 中田は続けた。
 「ご存知の通り、各社は自らが属する事業本部しか見ていないんです。もはや地域統括会社は各社を巻き込む権限も責任もないというのが正直なところです。ですが、今回は本社からの『Direction』であると言えれば、今までよりも各社が乗ってきてくれるのではないかと」
 木村は、「現在のサクラ電機における地域統括の立場は苦しいのだな」と感じた。かつてサクラ電機では、地域統括会社が管轄地域の経営責任を負っていた。しかし、事業別の海外売上規模が大きくなるにつれ、日本の各事業本部にグローバル連結の経営責任を付与し、マネジメントの中心を事業軸へとシフトしてきた。結果として、地域統括会社は、域内各社を「統括」する立場にありながら、実際は各社(すなわち各事業本部)の意向に反した何らかの取組を単独で行うことは難しい状況にある。
 木村は、この相談を受け、キックオフミーティングで本社の立場から本プロジェクトを後押しするコメントを発信することを中田と約束した。念のため、後ほどこのことを堀越に報告すると、堀越は了承した上で「無理強いはしないようにな。偉そうな本社は嫌われるぞ」とだけ付け加えた。堀越の言い方は少し気になったが、キックオフミーティングで、礼儀正しくちょっとしたコメントさえすれば、本社としての役割は果たせるだろうと、木村は高を括っていた。

各社の反発

 「サクラ電機がグローバルで持続的な成長を実現するにあたり、本プロジェクトにおけるオペレーションとシステムの統合を通じた域内ガバナンスの強化は大変重要です。ゆえに、本社の立場からは、全社の方針として、各社の皆さまに本プロジェクトへご協力頂くことを期待致します」
 キックオフミーティング当日、シンガポールのSakura Asia Pacificの大会議室で、中田からのプレゼンテーションに続き、木村は、本プロジェクトの重要性と本社からのアテンションを予定通りコメントした。できるだけ正しい文法の英語で話し終わると、木村は一安心して席に座った。
 しかし、このコメントが、木村を予期せぬ窮地に追い込む引き金となった。
 「つまり、本社は数年前の統合時に合意した内容を白紙に戻せと言っているのかね?」
 最初に木村に問いかけたのは、サクラ電機が数年前に買収した現地企業であるOmega Electronicsの社長であった。
 「Omegaでは、ローカルの人材とERPパッケージを活用して極めてローコストな構造となっており、それが競争優位の一つでもある。サクラ電機とのオペレーションの違いも大きい。だから、現時点で無理な統合はしないと結論付けたはずだ」
 この発言に、販売統括会社の社長が重ねる。
 「過去の合意があるのはOmegaだけではない。ナカタサンはよく知っていると思うが、過去にはオペレーションやシステムの統合についてフィージビリティスタディを行い、各社のメリットは小さいと結論付けているではないか」
 ローカル従業員の長老的立場にある販売統括会社の社長の意見に、周囲の参加者が頷く。
 「それらを全て白紙に戻し、全社の方針として統合を進めるべきとは。本社は突然やってきて随分乱暴ではないのか?」
 そして、参加者はこれらの問いかけに対する本社としての回答を求め、厳しい面持ちで木村に見つめるのであった…

改革推進のリアリティ

 木村の意識が、眼前の光景に戻ってきた。
 中田からの事前相談の深刻さ、そして堀越からの忠告の意味合いが、今になって木村にはよく分かった。そして、「ちょっとしたコメントだけすれば良い」と軽い気持ちで今日のキックオフミーティングに臨んだ自分を悔いた。
 「サクラ電機は海外M&Aや海外子会社の自立性によって、海外事業を伸ばしてきた。しかし、その歪みが生じている今、グローバル経営の確立が課題である」と、木村は堀越の問いに答えた。木村は、その自らの言葉が真に意味する難しさを理解した。
 「とはいえ、後悔ばかりしていても、この状況は変わらないな」
 木村は声には出さずに自戒し、リカバリの方法を思索し始めた。
 中田が悩むように、各社の意向だけを尊重するボトムアップのアプローチでは、過去の挫折の繰り返しになってしまう。一方で、本社から全社方針を押し付けるトップダウンのアプローチでも、各社の反発が強まるばかりだ。であるならば、誰かがボトムアップとトップダウンをつなげる役目を買わなくてはならない。
 木村は重苦しい沈黙を破った。
 「誤解を招く発言をしてしまい、失礼致しました。本社としては、過去の検討を反故にして、方針を押し付ける意図はございません」
 木村は言葉を続けた。
 「しかしながら、オペレーションやシステムの統合によるガバナンス強化が重要課題であるとの考えは変わりません。ですので…」
 堀越からは「お目付け役」としての関与を指示されていた。今日の顛末を報告したら、どんな反応をするだろうか。
 「私が、本社の立場から改めて域内各社へ1社ずつお伺いします。そして、本プロジェクトの意義を改めてご説明するとともに、各社の課題・ニーズをお聞かせ頂き、本プロジェクトの新たなスコープとアプローチをご提案させて頂きます」
 木村は、本社の立場から、本プロジェクトの立ち上げにどっぷりと関与することを決めた。

(次号へ続く)

■筆者プロフィール■
伊藤 爵宏(いとう たかひろ)
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 シニアマネジャー
製造業を中心に、バイサイドディールにおけるビジネスアドバイザリー、セルサイドディールの構想・実行、PMIにおける統合事務局、グループ子会社の再編構想等、M&A・組織再編全般にアドバイザリー経験を有す。
近年では、日本企業のグローバル経営力強化に向け、グローバル本社・地域統括組織におけるミッション・機能の再定義から組織再編の構想・実行に至る機能・組織変革案件に多数従事している。

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