[書評]

2016年1月号 255号

(2015/12/15)

今月の一冊 『経営学で考える』

 高橋 伸夫 著/有斐閣 /3200円(本体)

今月の一冊 『経営学で考える』高橋伸夫著/有斐閣 /3200円(本体)  今の世の中、会社という組織をめぐり難問が次々に起きている。経営学というレンズを入れて眺めてみると、問題の本質と妥当な解決策がくっきりと見えてくるというのである。半信半疑で読み進めるうちに、なるほどと思うことが多く、経営学の魅力に取り付かれそうになった。

  青色LED訴訟という事件があった。ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏が、勤務先だった日亜化学工業と青色LEDの発明対価の金額を争った訴訟だ。一審は中村氏の発明対価の金額を604億円と認定した。ところが、二審で成立した和解では、発明対価の金額は約6億円と100分の1に大幅減額となった。一審と二審でどうしてこんなに差が出るのか。どちらが妥当だったのか。そんな疑問が残り、後味の悪い事件だったと記憶している。

  これについて著者は経営学で考えると、発明対価を6億円とした二審の和解がライセンス・ビジネス的にセンスに溢れ、妥当だったとする。その理由の詳細は本書に譲るが、簡単に言えば、会社にとって特許とは利益を生み出すために使う道具に過ぎず、事業から切り離した単体としての特許に数百億円もの価値はありえないこと、事業化に当たり会社側は先行投資をするなど巨額のリスクを背負っていたこと、逆に中村氏は従業員として生活の安定を保証され、研究発明の失敗によるリスクはゼロだったことなどを挙げている。ちなみに著者は、高裁段階で会社側からの求めに応じこうした考え方に基づく意見書を提出しており、この意見書が和解に際しても力を発揮した。経営学が問題の本質を見極め、妥当な解決策を提供した生きた実例といえよう。

  会社が成功する理由やじり貧になる理由についても、経営学の視点から解説されている。さらにゲーム理論を使って組織の中で行われる意思決定の理由や機能、人間が働く理由などを説明したうえで、日本企業システムの再生の道についても提言している。

  提言を一言でいえば、日本型年功制の原点に立ち返り、より洗練された形で日本型年功制を再構築するということになる。では、日本型年功制とは何か。従業員の生活を守るために生活費保障給型の賃金を支払い、従業員の働きに対しては次の仕事の内容と面白さで報いるシステムのことをいう。ここでは働く者はその組織に終身コミットメントしていく。

  このシステムの下では、困難な仕事を達成した者は、次によりチャレンジングで大きな仕事を任される。仕事に携わる人員も予算も前にもまして増える。「仕事の報酬は次の仕事」であり、仕事の内容がそのまま動機づけになっているのだ。仕事の内容にどんどん差がつき、昇進や昇給にも差が開いていく。

  会社などの組織で働く人間はどういう動機から働くのかという問題は、以前から海外でも議論されてきた。「動機づけは賃金によってだ」「仕事の報酬は給料だ」といって、日本でも一時、成果主義による賃金体系が多くの企業で採用されたことがある。

  これに対し、賃金による動機づけは科学的根拠のない迷信であり、「仕事の報酬は給料」型システムの社会は人々を幸福にはしてくれないと著者は明言する。理論的にも、内発的動機づけの理論が体系化されている。働くこと以外に明白な報酬がなくても人間は働く。仕事自体が報酬になるのだ。成果主義が日本の伝統的な考え方を破壊した側面があるが、今こそ、日本型年功制の再構築が求められているというのである。

  もう一つ、大切な指摘がある。日本企業の経営現象は経営学的に「未来傾斜原理」で説明できるという。分かりやすくいうと、過去の実績や現在の損得勘定よりも、未来を残すことを選択し、その実現に傾斜し、現在を凌いでいくという意思決定を行う原理である。賃金や株主への配当を抑え、こつこつと内部留保の形で将来の拡大投資のために貯えることは、未来傾斜原理の典型的な発露であるという。ゲーム理論でも未来に目を据えて、将来の協調関係を選択することの意義が証明されている。日本企業の経営現象に対する経営学からの理論武装にもなる。

  本書には、会社の現場で起きている豊富なエピソードがちりばめられている。組織に身を置いたことがある者にとって、自分も実感したと思うものも多い。こんな場面が紹介されている。「会社で、あるチームが手柄を立てたとしよう。誰がリーダーシップを発揮して仕事を進めていたのか、誰が成功の鍵を握るようなアイデアを出したのか、誰が連日連夜馬車馬のように働いて納期に間に合わせたのか、……誰がみんなの足を引っ張り、誰がチームの手柄を独り占めにしようと画策していたのか。そこまでわかってくれている上司の下で、誰もが働きたいと願うはずである。自己申告しなくても、上司はちゃんと見ていてくれるはずだ……と思えばこそ、部下は安心して働けるのである」

  著者は東京大学経済部で経営学の教授を務めている。こういう教材で会社について教えを受ける学生は幸せだと思う。

(川端久雄〈マール編集委員、日本記者クラブ会員〉)

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