[書評]

2012年1月号 207号

(2011/12/15)

今月の一冊 『コーポレーションの進化多様性 集合認知・ガバナンス・制度』

青木 昌彦 著、谷口 和弘 訳 NTT出版/3400円(本体)

 『コーポレーションの進化多様性 集合認知・ガバナンス・制度』著者は、かつての日本の会社のコーポレート・ガバナンスについて、メーンバンクによる「状態依存型ガバナンス」であるとの説を提示し、それが通説となったことで知られている。その後、日本はバブル崩壊があり、世界は金融危機があり、株式会社のあるべき姿が混迷している。本書では、コーポレーションの根本に立ち返りながら、「株式会社とは何か」を解明し、今後の会社の方向性を示している。
会社をみる新しい視点が示されている。集合認知という概念を手がかりに会社を集合認知システムとみる。この担い手は経営者と労働者で、それぞれ自己の認知資産を提供する。投資家は自らの認知的活動を基に物的資産などの道具を経営者や労働者に供給する役目を果たす。人的資本という用語でなく著者はあえて認知資産という用語を使う。人的資産には個人の資産という性格があるからで、認知資産の言葉に準集団的なニュアンスを込めている。
コーポレーションという組織の本性の理解に、資本や金銭による支配でなく、認知という優れて人間的要素を取り戻す試みともいえよう。そもそも、コーポレーションなるものは、単に個人を寄せ集めただけでは不可能な認知と記憶を可能にするために組織された。研究と祈り、学問と宗教の促進・支援のために創設されたもので、大学や教会がそれに当たる。こうした知識は現在の株式会社の競争力にとってますます重要になっている。集合認知システムとしての側面はコーポレート・ファイナンスやコーポレート・ガバナンスの側面に劣らず、本質的側面なのだと分かる。
会社で、集合認知を組織化するやり方(組織アーキテクチャ)について著者は5つの基本様式を提示する。それぞれに相応しいコーポレート・ガバナンスが対応している。大雑把に要約すると、米国型、ドイツ型、日本型、シリコンバレー型、パートナー型だ。分類のカギは、経営者と労働者がそれぞれの認知資産をお互いに不可欠としているかどうかにある。米国型は経営者の一方的不可欠性が特徴で、日本型は双方の不可欠性が曖昧な関係にある。パートー型は両者がパートナーとして結びつくもので、新しい型だ。
では、世界的な金融危機後、会社はどの方向へ向かっているのか。金融危機の前に言われたように株主志向の米国型に収斂をするのか。著者は母国である日本の例を実証しながら、論証を進めている。日本は世界的な金融危機に先立ち、90年代のバブルの崩壊があった。失われた10年といわれる中で、伝統的な日本型から経路依存的に進化したハイブリッド型など多様な型が生み出されている。その1つの型は、トヨタ、キヤノン、花王などで優良企業群で、市場志向型ファイナンスと準伝統的雇用システムを結合したもので、従来の日本型企業より良好なパフォーマンスを達成している。また、銀行志向型ファイナンスと市場志向型雇用を結合したものも、若いIT産業などで出ている。このように従来とは、組織アーキテクチャとコーポレート・ガバナンスの連結様式に異質性が高まっている。従って、今後の方向性は米国型への収斂ではなく多様性だという。それも、国家間の特性を反映した多様性(資本主義の多様性)というより、グローバルな経済統合により生み出されるものだという。
そのうえで、今後の日本の会社経済の姿を示唆する。知識創造が競争力の源泉となるグローバル競争の中で、戦略を立てる経営者にとどまらず、コアの労働者の協力は不可欠である。従って、日本の会社の中核部分はパートナー型の組織アーキテクチャに近づく形で進化しうるとしている。
本書は、知の越境者を自認する著者が専門の経済学、ゲーム理論を越えて、法理論、社会学、経営学、政治学、歴史学、認知科学などの研究成果を吸収しながら会社の全体像を提示している。学者が勝手に設けた学問分野の境界とは関係なく、会社は進化していく。論証に最近のゲーム理論の成果なども盛り込まれていて、難解な部分もあるが、知の巨人を道先案内人として学門の最先端に触れてみるのもよい。  (川端久雄)

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