[寄稿]

2015年9月号 251号

(2015/08/17)

ダイキン工業の軌跡~戦前から培われたM&AのDNA

 澤田 英之(レコフ リサーチ部長)
  • A,B,EXコース

1.創業から井上礼之社長(現会長)就任まで

  空調機メーカー世界トップのダイキン工業。今でこそ売上1兆9150億円、海外売上比率74%のグローバル企業であるが、同社のこれまでを振り返るとまさしく苦闘の連続であった。

  同社は1924年に、航空機用部品等を製造する合資会社大阪金属工業所として創業された。1934年には大阪金属工業株式会社が設立され、翌1935年に合資会社大阪金属工業所を吸収合併。事業を冷凍機製造、フロン製造へと拡大する。軍事向けの需要が急拡大し、一時は1万6000人を上回る従業員を擁していたが、終戦直後は米国による軍需工場接収などによって残った従業員はわずか245名であった。

  終戦後、米国進駐軍からの電気冷蔵庫とフロン受注、そして突然の契約打ち切りなどに翻弄されながらも、1950年の朝鮮戦争勃発によるフロン特需、また、1951年に完成したパッケージエアコン(文末注1参照)のヒットによって経営危機を乗り越えた。特に冷凍・空調事業はその後の高度成長期に中核事業となり、売上構成比は1956年度に40%を超え、高度成長期末期の1971年度には67%を占めたという。1963年には従業員数も4800人の大企業となり、社名を大阪金属工業からダイキン工業に変更した。

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