わが国のM&A法制が変革の時期を迎えている。
1つの契機は、経済産業省が2023年8月31日付で公表した「
企業買収における行動指針」(以下「本指針」という。)である。本指針は、望ましい買収か否かは、
企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、又は向上させるかを基準に判断されるべきという原則(第一原則)を示したうえで、買収の対象となった上場会社の取締役の行動の在り方について具体的に提示している。すなわち、真摯な買収提案に対しては真摯な検討をすることが基本となるとするとともに、取締役会が買収に応じる方針を決定する場合には、対象会社の取締役(会)は、会社の企業価値を向上させるか否かの観点から買収の是非を判断するとともに、株主が享受すべき利益が確保される取引条件で買収が行われることを目指して合理的な努力を行うべきとする。
わが国においては、買収の対象となった会社の取締役の行為規範について、これまで必ずしも十分な議論が行われてこなかった。そのため、買収の対象会社の取締役において、買収の局面で、株主共同の利益について、どのように、また、どの程度配慮するのかについて、しばしば混乱が見られた。本指針は、このような空白地帯を埋めるべく、unsolicited offerであるか、対象会社の取締役会の要請等に基づく提案であるかを問わず、買収提案を受領した取締役(会)が従うべき行動規範について、精力的に提言を行っている。勿論、本指針は、ベストプラクティスを示すソフトローであって、法的拘束力を有するものではない。もっとも、今後関係者がその内容を尊重していくことにより、いずれはその一部が判例法に取り込まれていく可能性は十分に存する。
また、本指針は、わが国の裁判所が一貫して示してきている株主意思重視の姿勢を踏まえ・・・
■筆者プロフィール■
石綿 学(いしわた・がく)
1997年弁護士登録(第二東京弁護士会所属)、2002年ニューヨーク州弁護士登録。経済産業省の企業価値研究会(2004年~2008年)、公正なM&Aの在り方に関する研究会(2018年~2019年)、公正な買収の在り方に関する研究会(2022年~2023年)の委員として、企業買収の在り方に関する各ガイドラインの策定等に携わるとともに、金融審議会金融分科会第一部会公開買付制度等ワーキング・グループ専門委員(2005年)、金融審議会公開買付制度・大量保有報告制度等ワーキング・グループ専門委員(2023年)として公開買付規制等の改正にも携わる。東京大学大学院法学政治学研究科客員教授(2019年~2022年)。国内外のM&A、会社支配争奪戦、コーポレート・ガバナンスその他のコーポレート案件、プライベート・エクイティ、危機管理などに関する案件などを幅広く取り扱う。