若い日の旅の記憶
海外放浪していた半世紀近く前にインド南部の田舎を混んだ路線バスで回っていた時、停留所で松葉杖のおばあさんが乗り込もうとすると、運転手が怒鳴って乗車拒否した。英語が話せる隣席の乗客によれば、「身障者(おそらく運転手のヒンディー語ではもっと差別語)がバス運行を邪魔するな」とか、「アンタが乗っても座れる席がない」と言っているらしい。席の空いたバスが来るまで、おばあさんは炎天下で待たねばならなかった。
その後、アメリカ西海岸でゆったり空いたバリアフリーの路線バスに乗っていた時、車いすのおばあさんが降車ドアから乗り込もうとすると、運転手は機敏にアシストした。今では日本のバスでも珍しくない光景だが、当時は新鮮である。「あ、だから経済成長して先進国になるのが必要なんだ」と若かった私は突然理解した。
地球環境に負荷をかけてまで、あるいは精神を病むほどの競争をしてまでの経済成長は不要と考える人たちは多い。でも、どうやら人間は過去に経験した生活水準を下げるのはひどく苦手な存在のようである。誰しも貧しく恵まれない人たちが気の毒だとは感じても、己の既得権までは差し出さない。だから経済が成長して新たに付加価値を生み、相対的に貧しく恵まれない人たちが人間らしく暮らせるように付加価値を分けるのが社会の役割になる。
それが半世紀経ってもまだ十分にできないからインドは途上国であり、半世紀前からできていたアメリカは先進国である。無論、競争の結果中間層が没落し、国民の分断が深刻化してトランプがまた大統領になるかもしれない国は理想的には見えない。ただ、1990年代に日本のバブルが崩壊して30年以上もアメリカを眺めていれば、厳しい環境でも失敗を恐れずに競争する精神が、アメリカを依然世界経済を牽引する原動力としている現実には否応なく気づく。
一方で、目先の競争の痛みを避けながらゆっくり沈んでいく日本の国の形がなんだかもどかしい。運良く企業の正社員になれば家族を含めて暮らしていける処遇をし、企業自体が傾けば銀行が資金繰り支援して延命を図るうちに、企業が付加価値を生んで成長しながら従業員に報いる力も失われている。今年の金融行政方針という地味な文章を眺めていたら、「銀行は資金繰り支援はもとより、付加価値を生む事業への支援を」というさり気ない一節が目に入った。
「成長なくして分配なし」と「分配なくして成長なし」はどちらが絶対に正しいとは言えないが、成長と分配のどちらに力点を置くか、言い換えると「パイを大きくしてからなるべく公平に分けるか」と、「公平に分けることによりパイを大きくするか」の力点の最適化を、銀行融資とそれを制御する金融行政で試みている現状を俯瞰するのが本稿の意図になる。
M&Aと銀行
■筆者プロフィール■
大森 泰人(おおもり・やすひと)
1958年生まれ、東京大学法学部卒業。1981年大蔵省(現・財務省)入省。大蔵省証券局市場改革推進室長、東京国税局調査第一部長、近畿財務局理財部長、金融庁証券課長、金融庁市場課長、金融庁企画課長、証券取引等監視委員会事務局次長、内閣府震災支援機構設立準備室長、復興庁審議官を経て、2013年金融庁証券取引等監視委員事務局長に就任。2015年金融庁退官。退官後は複数企業の社外取締役、監査役、顧問等を歴任