M&A契約の末尾には紛争解決に関する条項が入っている。例えば、本契約のM&Aに関連する紛争はどこそこの国の裁判所又は仲裁機関で解決する、といった内容である。この紛争解決条項は、契約交渉の場面では、譲渡価格、補償の上限・下限、
表明保証の範囲、前提条件などと違い、熱心に交渉されることはまれである。しかしながら、不幸にも買収完了後に対象会社に問題が発覚して売主と買主との間に紛争が発生してしまった場合、どこの国でどのような手続きで紛争を解決するかを定める紛争解決条項の真価が発揮される。
今回は、日本企業による海外での買収後に対象会社に問題が発覚し、実際に紛争に発展して国際仲裁による解決がなされた事案を紹介し、M&A紛争における実務的な勘所について解説する。
紛争解決条項は重要か
クロスボーダーM&Aでは、国内案件に比べて、紛争解決条項の重要性が高い。国内案件であれば、たとえ紛争解決条項がなくても、民事訴訟法の定める管轄ルールに従って、日本国内で日本語の通じる公平な裁判所による裁判を受けることができる。裁判で勝訴判決を得ても相手方が任意の履行を行わない場合には、民事執行法の定める手続きに従って判決を執行し、国家権力により強制的に損害を回収することができる。
それでは、海外でのM&Aをめぐる紛争の解決を現地の裁判所に委ねるとどうだろうか。例えば、米国の民事裁判で陪審員の判断を仰ぐことは、職業裁判官に慣れた日本企業には不安かもしれない。また、アジアなどの新興国では、裁判所は汚職にまみれ、裁判は遅々として進まず数年かかることもある。そのため、米国の裁判所を紛争解決機関とするときは陪審裁判を放棄する合意をしたり、アジアなどの新興国では、現地の裁判所を避け、中立な第三国で定評のある仲裁機関での仲裁を選択することが多い。
裁判と国際仲裁の比較
裁判と比較した国際仲裁の特徴として、まず仲裁判断の外国での執行可能性が挙げられる。外国仲裁判断の承認・執行は、世界で160カ国を超える国が加盟するニューヨーク条約により、加盟国であればどこでも相手方の資産に対する強制執行が可能である。そのため、対象会社の財産所在国がニューヨーク条約加盟国であれば、その国の司法制度(裁判)を使わなくても、中立地での仲裁判断で当該財産所在国での強制執行が可能となる。また、三審制(地裁→高裁→最高裁への上訴手続)を原則とする裁判所と異なり、国際仲裁は紛争の一回的解決を原則とする。その他、国際仲裁は、当事者が判断権者(仲裁人)を選任できること、現地語以外の言語(英語)を選択できること、手続きが原則非公開であること、手続きを柔軟に決められるといった点で、裁判所と異なる特徴がある。
■ 参考事例
以上を踏まえ、以下、日本企業によるインド企業の買収後に対象会社に重大な問題が発覚し、買主が売主に対し損害賠償を求めてシンガポールでICC仲裁を申立てた事例を紹介し、国際仲裁によるM&A紛争の解決のプロセスについて解説する。
第一三共によるランバクシーの元株主への仲裁申立て
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■東京国際法律事務所
■筆者略歴
森 幹晴(もり・みきはる)

2002年東京大学法学部卒業。2004年長島・大野・常松法律事務所。2011年コロンビア大学法学修士課程修了。2011-2012年Shearman & Sterling(ニューヨーク)。2016年日比谷中田法律事務所。2019年東京国際法律事務所開設。
日本企業による海外M&A・国内M&A、国際仲裁等に注力。日本経済新聞社の「2020年に活躍した弁護士ランキング」の総合ランキング(企業票+弁護士票)M&A部門において9位にランクイン。ALB Japan Law Awards 2020において、Dealmaker of the Year、Managing Partner of the Yearの各カテゴリーにおいてファイナリストとして選出。IFLR1000 - Guide to the World’s Leading Financial Law Firms において、Leading Lawyer - Notable Practitionerに選出。