[書評]

2006年8月号 142号

(2006/07/15)

BOOK『カリスマ幻想―アメリカ型コーポレートガバナンスの限界』

ラケシュ・クラーナ著 加護野忠男監訳、橋本碩也訳 税務経理協会 2,800円(本体)

カリスマ幻想―アメリカ型コーポレートガバナンスの限界
 

 企業は所有者たる株主のために利益を生み出すことを第一の目的とするが、商品やサービスの提供はもちろん、雇用の場を確保し、税金も負担する。企業なくして、現代社会や国家は考えられない。こうして、今日、大企業のトップは、社会的存在になる。
 米国では力のあるCEOを迎えるかどうかで企業の盛衰が決まると言われ、争奪戦が行われ、報酬は上昇した。その結果、一握りのカリスマCEOが企業社会の最上層部に君臨している。本来、企業や株主の帰属すべき富が彼らに集中し、富の不平等が拡大している。しかし、カリスマCEOにより、企業の経営がうまく行くというのは、幻想であるばかりか、平等と自由競争を理念としてきた米国社会を腐食させているというのである。
 社会主義国家を崩壊させ、資本主義や市場経済の優位性を高らかに宣言した米国で、どうしてこのような特権階級が生み出されたのか。ハーバード大学ビジネススクールの社会学者である筆者は、インタビューなどを通じて、カリスマCEOの実態や生み出された背景に迫った。シティーグループの社長から大手銀行、バンクワンのCEOに就任したジェームズ・ダイモンの人物像や、取締役会やコンサルタント会社の役割などを紹介しながら、CEOの選考過程や、法外な報酬がどうして形成されていくかを明らかにしている。米国企業社会の暗部を白日の下にさらしたところに米国の批判精神の健在性を感じる。
 特権を生み出す根源は、経営者の人材市場が一般の労働市場と違い、一部のエリートだけが循環する閉鎖的な市場になっている点にある。米国は、自由な市場経済を標榜しているのに、肝心の企業のトップを選ぶプロセスは「ベルリンの壁」のように囲いこまれた市場になっている。これが、企業と社会に莫大な損害を与えていることに米国民は気がついていないというのだ。
 米国でも1970年代までは、CEOは社内の生え抜きが選ばれていた。だれを選ぶかは現職CEOの最後の仕事であった。企業のガバナンスを、その企業の出身者の優等生に委ねる経営者資本主義の時代である。それが変質したのは、非効率な経営を続ける企業をターゲットにした敵対的買収の時代をへて、機関投資家など株主が経営に口を挟むようになった80年代からである。業績不振企業に対し、取締役会を通じ、CEOを交代させるように圧力をかけるようになった。取締役会は、因習を打破して、企業を改革するため、外部から救世主として評判の高いカリスマCEOを招聘するようになった。投資家資本主義の副産物であるというのだ。筆者は、CEOの選任方法として、この二つを融合して、社内と社外の両方の候補を競わせる方法を提案している。
 翻って日本をみると、社長は社内登用型で、経営者資本主義の時代にある。しかし、日本も敵対的買収の時代を迎え、社長の外部登用も始まっている。米国の後追いをするのでなく、その轍を踏まないため、米国の病理現象も知っておく必要がある。(青)

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