[書評]

2011年8月号 202号

(2011/07/15)

今月の一冊『凋落 - 木村剛と大島健伸』

高橋 篤史 著 東洋経済新報社/1800円(本体)

凋落-木村剛と大島健伸日本初のペイオフ発動となった日本振興銀行を率いていた木村剛。商工ローン大手SFCGの創業者で最後は会社と共に破産に追い込まれた大島健伸。2009 年から10年にかけて起きたこの2大金融スキャンダルが底流で結びついていることは、当時の新聞報道などで薄々理解していた。著者は二人の航跡をたどりな がら、対極にある二人がどうして結びついたかのナゾを解き明かしてくれる。

木村は、富山県の進学校を経て東大経済学部に入学、日銀へ就職したエリートだ。自信家、勉強家で度胸もあり、金融コンサルタントに転職、金融庁顧問になり不良債権処理で辣腕を振るい、一躍時代の寵児になった。その後、知人から中小企業向けの新銀行構想をもちかけられ、男気から振興銀の経営にめり込んでいく。中小企業振興ネットワークを組織し、「150社、従業員4万人、売上高4000億円規模のグループを展望できると」虚勢を張っていた。しかし、実態は経営不振企業の寄せ集めで、不透明な融資を隠そうと、金融庁の検査を妨害、2010年逮捕され、破局を迎える。

大島は、在日朝鮮人で高校時代に一族で帰化した。慶應大学を卒業後、三井物産に入ったが、起業家を目指して退社し、31歳を前に商工ローンを始める。成功を収め、上場した商工ファンドの時価総額は1兆円に膨らみ、大島は世界の富豪の仲間入りをした。豪邸で外資系の銀行などを使い、複雑な国際的課税回避スキームづくりにいそしむ。高金利で貸し付け、厳しく取り立てる手法を国会で追及されたが、その逆風も乗り越える。しかし、2006年の最高裁の裁判をきっかけに過払い金返還請求の津波が押し寄せる。商工ローンに見切りをつけ、不動産担保ローンに突き進むが、上手くいかず、結局、破綻し、大島も資産隠しで逮捕される。

著者は二人が育った場所を訪ね、関係者に取材し、登記簿をとり、事実を積み重ねていく。今どき、こういう地をはうような調査報道の手法をとるフリージャーナリストがいるのかと感心する。

金融エリートの木村と、金融の埒外からはい上がった大島。ともに中小企業を相手とする金融の辺境でビジネスをしていた点では共通する。ただ、木村には飽くなき金銭欲はない。負の磁場にいた二人は、最終局面でお互いに引き付けられたかのように接近し、激しく化学反応を起こし、転落していく。大島側は、不動産担保ローン債権を譲渡し、資金を調達する必要に迫られていた。木村側は、高金利で集めた預金の運用先を求めており、このローン債権を買い取っていく。しかし、このローン債権は二重譲渡だった。振興銀は債務超過となり、金融庁は初のペイオフを発動した。債務超過の額は6700億円にのぼる。預金カットの被害者も出た。

どちらも、グループ拡大の手法としてM&Aを活用していた。
SFCGは、マルマン、ビオフェルミン製薬、佐藤食品工業、理研ビタミンなどを傘下に収めていく。中小企業振興ネットワークはNISグループや旧ベンチャー・リンクなどだ。買収した企業からSFCGがどう資金を吸い上げていたかも紹介されている。M&Aの悪い一面を知ることができる。同グループがソリッドグループホールディングス(現カーチスHD)に対して行ったTOB は日本企業同士の敵対的TOB第1号としてM&Aの歴史に名前をとどめる。
日本のM&Aにとって不幸なことである。

事件やスキャンダルは次々に起きては、うたかたのように消えていく。だれかが書き残さなければ、忘却の中に追いやられる。
著者は、振興銀の乱脈経営に早くから関心をもち、折に触れて、雑誌に原稿を寄せてきた。しかし、媒体の受けは悪く、多くの誌面をもらえなかったという。出版・雑誌ジャーナリズムは、今、企業のネガティブな記事については訴訟リスクを恐れ、敬遠する傾向を強めている。代わって、早分かりのニュース解説が花盛りである。しかし、社会に埋もれた事実を掘り起こす3Kジャーナリストがいなければ、スマートな解説業も成り立たないと著者はいう。汚れたり、傷ついたりしながらも、社会のドブ浚いを続けたいと誓う。頭が下がる。(敬称略)        (川端久雄)

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