[書評]

2011年11月号 205号

(2011/10/14)

今月の一冊『会社法の基本問題』

江頭 憲治郎 著  有斐閣/9000円(本体)

会社法の基本問題会社法の第一人者がこの30年間に発表した論文や講演録から構成されている。著者の『株式会社法』に引用されている論文も含まれている。通読して著者の一番の問題意識ひいては戦後日本の会社法の課題が「企業支配」の問題にあったことが読み取れる。

大企業がいかなる者の利益を代表する者の手で動かされているのか。法律の建前では株主が会社の所有者だが、日本の実態は経営者支配(従業員支配)である。 日本的経営と賞賛されたこともあるが、著者は負の側面に目を向ける。経営者支配の下では、会社の存続・規模の最大化が目的化され、会社が私物化される危険 がある。効率性は軽んじられ、敵対的買収が必要以上に非難の対象となる。先進資本主義国の会社法の最大の関心事は、経営者支配の克服とされるが、中でも日 本は経営者支配の色彩が強い。

著者によると、日本で経営者支配が形成されたのは明治時代で、当時、経営者に対する監視機構づくりに失敗した。戦後は、持ち合いなどでより強固になる。バブル経済崩壊後、米国流の委員会等設置会社制度の導入などが行われてきたが、未だに経営者支配は根深く残る。

次のような歴史的分析もある。産業革命前は、もっとも重要な生産手段は田畑であった。日本では、田畑は百姓の所有といっても、実態は個人でなく「家」の所有で、所有者が必ずしもはっきりしない状況があった。他方、英国では地主による小作人の追い出し(エンクロージャー)が行われた。生産手段をどう使うかは所有者の勝手という思想の表れだ。田畑の真の所有者がよく分からない日本と、地主のものであることが明確な英国との差異は、会社が誰のものかはっきりしない日本と、会社は明確に株主のものであって買収者(株主)が余剰労働者を解雇して企業を効率化するのは善と考えるアングロ・サクソンの国との差異として投影されるのではないかと。日本のM&Aを考える上で重要な視点だ。

今日の会社法の課題は、こうした経営者支配が行われている会社において、会社関係者の利益をどう制度的に位置づけるかにある。こうした視点から大会社の運営・管理機構の問題を論じることにコーポレート・ガバナンス論の真の意味があり、中でも経営者の効率性を評価・判断する仕組みづくりが大きな問題になる、と15年前の論文で指摘している。著者が関わった新会社法制定で定款自治を大幅に拡大したのも、日本の企業社会が世界的な競争から取り残されないように創意工夫を促進するためであった。

最近の論文で警鐘も鳴らす。日本では米国と比べ、経営者の報酬は低く抑えられてきた。しかし、ストック・オプション制度の誕生により金銭報酬のみの時代には誰も想定していなかった「子会社の役員等に対する親会社からの報酬の支払」いという現象が始まった。経営者の報酬の大盤振舞いへの堤を崩す「蟻の一穴」にみえなくもないという。

著者が取り組んだテーマは多岐にわたる。非上場株や新株予約権の評価に関連する論文もある。数学が得意という著者ならではの論考で、通説のおかしさを突いていった。米国のLLP、LLCと日本の持分会社の関連など学界で関心が低いテーマの論文もある。

学生向けの講演では、法律以外の学問への関心を持つことの重要性を訴える。リーガル・マインドの多くの部分は人間の行動に対する直感的な洞察力であり、直感を養うには経験を積み、古典などを読むことが重要といわれてきたが、現在は直感に頼るだけでなく、「法と経済学」の分析に基づく厳密な理論的根拠が求められる方向に向かっているという。

人間観察も繊細だ。人間は通常、「自分が他人に影響を及ぼし他人の行為を制約している点には比較的無関心で、他方他人から制約を受けている点には直ぐ気がつく傾向」があるという。経済活動を巡って会社法と租税法の研究者もこの関係にあるとした上で書かれた論文もある。人柄もにじみ出ている。取り組んだテーマは「地味」なものが多いと振り返り、「人のゆかぬ径を歩いて、花の山に遭う」と「はしがき」を結んでいる。
(川端久雄)

バックナンバー

おすすめ記事