石田 諭(いしだ・さとし)
1997年4月第一勧業銀行入行、2001年7月国土交通省総合政策局建設業課で勤務。2003年11月産業再生機構マネージャー、2010年7月経営共創基盤ディレクター、2013年8月金融庁監督局総務課監督調整官、2015年7月総務企画局政策課政策管理官、2016年7月検査局総務課、2017年7月監督局地域金融企画室長。金融庁を退官し、2018年11月より経営共創基盤ディレクター、2019年2月南都銀行顧問に就任。2019年4月南都銀行専務執行役員(経営戦略本部長委嘱)、2019年6月取締役副頭取執行役員、2020年4月取締役副頭取執行役員(現職)。
純血・旧来型組織の改革を進める南都銀行 県内預金・貸出共に5割の高シェアを有する奈良県の名門地銀・南都銀行の副頭取に金融庁OBの石田諭氏が就任して、3年あまりが経過した。石田氏は2010年代半ばから後半にかけて、金融庁の総務企画局政策課(当時)や監督局などで金融行政の重要な職務を任されていた行政官だった。その石田氏を受け入れた南都銀行は、典型的な「純血主義」の旧来的な地方銀行で、外部から常勤役員を迎えた前例がないばかりか、行員の中途採用さえほぼ実績がなかった。金融機関の社外取締役や会長に金融庁・財務省を退官したOBが就任する事例は多いが、健全行への中堅官僚の経営陣としての転身は極めて異例の出来事であり、前例はない。
こうした組織の歴史を覆し、石田氏を要職に招いたのは2015年に頭取に就任した橋本隆史氏だ。地域金融の世界では改革派の経営者として知られ、就任後は聖域だった行員の人件費の削減、自行ATMの外部委託化、店舗ネットワーク再編など大胆なコストカットや生産性向上のための各種施策を積極的に進めてきた。
橋本頭取は石田氏を招聘した狙いを、「地域金融機関を取巻く厳しい経営環境のなか、これまでのボリューム拡大志向の経営では将来的に立ち行かなくなるという強い危機感によるもの」と説明している(南都銀行ディスクロージャー誌2019より)。生え抜きの行員だけで構成される組織では、経営トップのリーダーシップだけでは大胆な変化は起こすにも限界があり、組織風土を変革しうる人材として白羽の矢を立てたのが、産業再生機構等で旧来型組織改革の実績を持ち、地銀経営にも知見を持つ石田氏だった。
就任から3年が経過した現在、改革の成果はどのような形で生まれているのだろうか。
ストック型ビジネスの典型である銀行業だが、この数年での各種施策への取り組みが、着実に成果が出ているように見られる。南都銀行の経営指標を見ると、2019年3月期に85.7%だった南都銀行の経費率(Over Head Ratio、OHR)は、コスト削減等により2022年3月実績で67.8%まで大幅に低下している(単体ベース、図表1)。さらに、2009年4月以降10年以上も赤字が続いていた銀行単体の「顧客向けサービス業務利益」(本業利益)も2022年3月期に当初目標より3年前倒しで黒字化を達成した。
(図表1)南都銀行の経費率の推移 (出所)南都銀行決算説明資料
さらに同行は、2020年4月にスタートした経営計画で、「10年後に目指すゴール」として、「奈良県GDPの10%の増加」(3兆6385億円ある県内の実質GDPを10年後、約3500億円増加)させるというユニークなKPIを掲げている。コロナ禍で観光・宿泊を中心とした地元サービス業が苦しい状況にある中、奈良経済を銀行として主体的に牽引するべく、取り組みを進めている最中だ。
ただし、現在取り組んでいる経営改革の本質は別のところにある。最重要は、「自分で物事を考え、組織の課題解決に主体的に取組む行員を増やすこと」(石田氏)だ。就任3年が経過した今も、行員に「物事を掘り下げて考えること」「仕事の目的を明確化すること」を繰り返し促しており、顧客起点で考えることを組織に定着させようとしている。石田氏は、「経営陣として南都銀行の経営に携わる中、(金融庁で地銀を担当していた時も)必死に勉強していたつもりだったが、勉強不足だったと反省することが山のようにある」とも自省しながら改革の陣頭指揮に当たっている。
就任後の3年でどのような取り組みを進めてきたのか、2025年3月に設定している改革の期限までに、何に対してどう取り組むのかを尋ねた。
(図表2)南都銀行の概要 (出所)南都銀行決算説明資料より抜粋
初年度は焦りもあった
―― 金融庁での勤務後に南都銀行の副頭取に就任され、3年あまりが経過しました。