[寄稿・寄稿フォーラム]

2021年5月号 319号

(2021/04/15)

M&A当事者と投資家が留意すべき株式価値評価のリスク(上)事業計画をめぐる潜在的な論点

池谷 誠(アルファフィナンシャルエキスパーツ マネージングディレクター)
  • A,B,EXコース
1. はじめに

 わが国のM&A実務においては、買収者と対象会社がそれぞれ第三者評価機関から対象会社の株式価値算定書を取得することが一般的であり、MBOや完全子会社化事案など、取引価格の公正性が重要視されるケースでは、特別委員会がさらに独自に第三者評価機関への評価を依頼することも多くなっている。M&Aにおける取引条件の形成過程において構造的な利益相反の問題や情報の非対称性の問題が存在しうる中で、専門家ではない当事会社の取締役や特別委員会の委員の判断の基礎とするために、専門性を有する独立した第三者評価機関から株式価値算定書等を取得することは望ましいといえる(注1)。

 しかし、第三者評価機関、あるいは株式価値算定書への過度の信頼は危険である。株式価値評価は一般的に確立された理論や手法に基づくものであるが、会計監査のように詳細な規則や基準があるわけではなく、評価手法や各種インプット、比較可能企業や取引の選択など、多くの点において評価者の判断が求められ、その結果によって評価結果が大きく変わり得る。また、評価に用いる情報のうち、対象会社の事業計画など将来の財務予測や見積りについては、評価者がその合理性や客観性を確認できるとは限らない。すなわち、第三者評価機関の責任範囲に属する要因(要因A)だけでなく、責任外の要因(要因B)によっても、価値評価が合理的なものとならず、これに基づく価格等の条件が公正なものとならないリスクが存在する。

 独立的な第三者評価機関からの株式価値算定書取得を含む、一般的に公正と考えられる手続きが取られていれば、仮に裁判となったとしても当事者間で合意された取引条件が尊重される可能性は高くなることが期待され、通常は、対象会社の取締役の善管注意義務および忠実義務の違反が認められることはないと想定されるが、公正な手続きは形式だけでなく、実効性を伴うことが求められる(注2)。そうすると、公正な価格の判断の基礎となる株式価値算定書についても、その内容が一般に合理的なものと認められるかどうかを審査することは、公正な手続きの一部であり、上記要因Aの問題について、取締役会や特別委員会が一定の責任を負うと考えられるし(注3)、要因Bについても、第三者評価機関による評価を合理的なものとするために、取締役会や特別委員会は、より直接的な役割を有するといえる。

 また、対象会社の少数株主を含む投資家の観点からは、上記要因A、Bに起因してM&Aにおいて公正な価格が実現しないリスクがある中で、これを回避するために当事会社の取締役や特別委員会が機能しているか、すなわち実効性のある公正な手続きがとられているかは重要なチェックポイントになるといえる。

 本稿では、このような、株式価値評価をめぐるリスクについてM&A当事者と投資家が留意すべきポイントを解説する。まず、前編として、上記要因Bに係る論点の代表例として、事業計画をめぐる株式価値評価の実務上の問題点を紹介する。また、次回は上記要因Aの例として、価値評価レンジの取り扱いについて若干の考察を試みる。


2. 事業計画の重要性と株式価値算定書における位置づけ

 株式価値算定の代表的手法であるDCF法は、将来企業が生むフリーキャッシュフロー(FCF)の現在価値を基礎として株式価値を求める手法であるが、一般的に、事業計画等に基づき、3~5年程度の期間(予測期間)につき比較的詳細な推定を行い、その後の期間(継続期間)については、上記予測期間の最終年度のFCFをベースとして、各年度に特有の項目を平準化した安定的なFCFを求め、一定の成長率(永久成長率)で継続的にFCFが伸びていくという前提を置いて推定する(注4)。

 したがって、評価のスタートラインとして、どのような資料を根拠に推定期間におけるFCF推定を行うかが重要となる。当然ながら事業計画の内容によって結論が大幅に異なり得るが、M&Aにおける株価算定の実務においては、第三者評価機関は、通常、対象会社が作成した事業計画を所与として採用するから、その結果得られるDCF法による評価は、第三者評価機関が作成したものとはいえ、それだけで合理性や客観性が担保されるわけではない。

 このため、経済産業省による「公正なM&Aの在り方に関する指針」(以下、「公正なM&A指針」という)も、特別委員会の役割を述べる箇所で「取引条件の妥当性の判断の重要な基礎となる株式価値算定の内容と、その前提とされた財務予測や前提条件等の合理性を確認することを通じて検討することが重要である。」としている(注5)。

 また、公正なM&A指針は、充実した開示が期待される情報として、DCF法を用いて株式価値算定を実施した場合における、算定の前提とした財務予測の作成経緯(特別委員会による事業計画の合理性の確認や第三者評価機関によるレビューを経ているか否か、当該M&A以前に公表されていた財務予測と大きく異なる財務予測を用いる場合にはその理由等)を記載している。

 なお、上記のように、第三者評価機関は通常、対象会社などが作成した事業計画を所与として採用するが、対象会社などから合理的、客観的な事業計画を入手することができない場合、一定の前提を置いたうえで将来財務数値の予想を行う場合がある。また、事業計画が入手できる場合であっても、無条件に受け入れるのではなく、経営者へのインタビューなどに基づき、予測の合理性について第三者評価機関が検証を行う、あるいは合理的でないと考えられる部分について修正を加える場合もある。このように、ケースによって、事業計画に係る第三者評価機関の関与の度合いが異なる。第三者評価機関が事業計画の合理性を確認することは、評価プロセスの信頼性を高めることになるが、多くの場合、株式価値算定書においてはこれについて詳細が明らかにされていない。上記公正なM&A指針が指摘するように、評価者が計画や見積りにつきレビューを行ったか、行ったとすれば、どのような部分につきレビューを行ったか、その結果、修正が行われた場合はその理由と修正方法などにつき開示することが望ましいといえる。


3. 事業計画の作成経緯

 公正なM&A指針はまた、「企業において作成される事業計画は、その作成の目的や態様等によって、その数字が楽観的な場合から保守的な場合まで様々であることから、事業計画の合理性やその作成経緯を確認することの重要性が指摘されている。」と述べている(注6)。わが国の上場企業の多くは、

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